葬式(イスラーム方式)

人間は、いつかは必ず死を迎える。しかしながら、イスラームの教えでは、死は人生の終焉ではなく、実際には、現世の行いがそのまま反映する来世が存在するのである。それゆえ、ムスリムは、自分たちの愛する者を失ったことを悲しくは思うが、その死を嘆いたりはしない。亡くなった人を思い、大声で泣き叫んだり、服を引き裂いたり、自らの身体を傷つけること等は、ムスリムたる者の悲しみの表現ではない。

ムスリムは、死の悲しい知らせを聞いた時には、次のように言う。

 

「インナー・リッラーヒ・ワ・インナー・イライヒ・ラジウーン」

「まこと、我らはアッラーのもの。まこと、我らはアッラーの許へ帰るのだ。」

親類や友人が、故人の家に集まり、残された家族の者を慰める。聖なる預言者は、死者を葬ることをむやみに遅らせてはならないと説いている。それゆえ、遺体は、きちんと洗われ、頭からつま先まで、縫い目の無い清潔な白い布ですっぽりと包まれ、棺架に乗せられて、(棺が使われることもある。)葬儀の礼拝が行われる場所へ運ばれて行く。遺体は、イマームの前に据えられ、他の礼拝の時と同様、葬儀の参列者は全員イマームの後ろに列になって立つ。列の数は奇数とするように決められている。この礼拝の際には、おじぎや座る姿勢、平伏する姿勢はとらない。イマームが両手を耳の後ろに当て、礼拝が始められ、「アッラーフ・アクバル」(アッラーこそ偉大なるお方)と大声で唱えながら、胸の前で両腕を組む。次にイマームと信者たちが、アル・ファティハ(開扉章)を無言で唱える。

慈悲深く、恵みあまねくアッラーの御名において。譛えあれ、アッラー、万世の主。仁慈あまねき、慈悲深き審判の日の支配者。我らはあなただけを崇拝し、あなたにだけ、救いを求める。我らを正しき道へとお導きくださらんことを。あなたの怒りを招く者、踏み誤った者の道ではなく、あなたが祝福をお与えになった者の道へ。アーメン。イマームが2度目の「アッラーフ・アクバを唱え、全員が次の聖句を無言で唱える。

 

 

おお、アッラーよ、ムハンマドとその信徒たちに祝福を与えられんことを。あなたがアブラハムとその信徒たちにお与えになったように。まこと、あなたは、称譛すべき高貴なるお方。

おお、アッラーよ、ムハンマドとその信徒たちを繁栄されられんことを。あなたが預言者アブラハムとその信徒たちを繁栄させたように。まこと、あなたは、称譛すべき高貴なるお方。

イマームはまた、3度目の「アツラーフ・アクバル」を声高く唱え、次に、亡くなったのが大人であれば、次のような祈りを無言で唱える。

 

 

 

おお、神よ、許したまえ。我ら生ある者も死者も、ここにいる者もいない者も、若者も老人も、男も女も。

おお、神よ、我らのうち、あなたが生きることを許された者には、イスラームの信仰を堅く守らせたまえ。あなたが死をお与えになる者は、信仰を守って死ぬことができますように。おお、アッラーよ、故人にお与えになっていた恩恵を我らから奪われることのなきように。故人に続いて我らに裁きを受けさせることのなきように。

亡くなったのが子供の場合には、前述の祈りの代りに、次の祈りが唱えられる。

 

おお、アッラーよ!彼を我らの生駆者とし、我らの為に報いと宝とされよ。彼を我らの為の嘆願者とされ、彼の嘆願をお聞き入れられんことを。

この後、イマームは4度目の「アッラーフ・アクバル」を唱えて、顔を右に向けて、次のように唱える。

「アッサラム アライクム ワ・ラハマトゥッラ」(あなたに平安とアッラーの祝福のあらんことを)

そして、今度は顔を左に向けて、同じ言葉をもう一度唱え、礼拝はこれで終わる。遺骸は墓地へ運ばれて埋葬される。埋葬の為に墓まで行く者たちは、葬列と共に歩いて行く。

葬儀は、イスラーム共同体における、共同の責務(Fardh Kifaya)である。つまり、もし、その共同体のわずかな者しか葬儀に参列しなければ、その者たちが、共同体全体を代表して、その責務を果たさなければならないのである。イスラーム教における葬儀礼拝の目的は、故人に対する神の許しと慈悲とを求めることにある。それゆえ、ムスリムは、葬儀礼拝に参列することを激励されているのである。聖なる預言者の妻、ハズラト・アイシャは、預言者が次のように述べたと言っている。

「もし、ある人が亡くなって、その葬儀礼拝に百人のムスリムが参列すれば、彼らが全員で彼の為に取りなすので、その取りなしはアッラーに聞き届けられるだろう。」(サヒー・ムスリム)

一般に、遺体は、葬儀の参列者の前に置かれるが、時には、遺体がその場になくても、葬儀礼拝を行うことも許されている。これが「ジャナザ・ガイブ」と呼ばれる葬儀であり、礼拝を導くイマームの前に遺体を置かずに行われる。

このジャナザ・ガイブがあるので、遠く離れた所に住む故人の親類や友人、知人等が実際に葬儀に参列できない場合も、自分たちの住んでいる場所で葬儀を行い、故人の為に祈ることが可能になる。

ただし、留意すべき点は、ジャナザ・ガイブは必ず埋葬が済んでから行われ、埋葬の前には行われないということである。

また、このジャナザ・ガイブは、水死や火事等で、埋葬すべき遺体がない場合にも適用される。

「地上にあるものはことごとく滅びる。そして生き残るのは、お前たちの主、栄光と誉れの支配者の加護のもとにあるものだけであろう。」(55章27.28節)