イスラームでの犠性の教理

イスラームの教えに拠れば、動物の犠性は、他の多くの民族の場合とは異なり、神々の怒りをなだめる為でも、犯した罪を贖い、神々の歓心を買う為でもない。聖典クルアーンには、次のように明確に記されている。

「お前たちが捧げた犠性の肉も血も、神へは届かないのだ。神に届くのは、犠性を捧げることの根底にある高潔な心なのである。」

(22章37節)

言い換えれば、動物を屠ることは、一種の象徴的な表現なのであり、これによって、ムスリムは、全能の神の為ならば、自分の持っている物は何であれ、命でさえも喜んで捧げると宣言するのである。犠性として捧げられる動物は、実は、人間の心に潜む獣性を象徴しているのである。