身体障害者を見て

日常生活の中で、ほとんど毎日といってよいほどどこかで身体不自由者に出会います。そのような体の不自由な状態に苦しんでいる男性、女性、子供を見たくないと願うのはだれしもです。しかし、実際にこのような人々が社会には多くいるために見ざるを得ないのが現状です。通りや商店街、バス、電車の中、手押し車の中など、いたるところで彼らを見ることができます。このような体の不自由な人々を見た時に私達が思うことは何であり、どうするでしょうか。そのような人々のことを気の毒に思うのは言うまでもないことでしょう。こういった憐れみの気持ちを持てることは非常に人間的なすばらしいことです。

全知全能の神は私達人間を同胞の苦しみを見て憐れみの心を持つよう創造なさいました。

ある人は気の毒に思うだけでなく、できる限りの援助の手をさしのべてあげたいと思うでしょう。例えば、電車やバスの中では席を譲ってあげたり、目の不自由な人の手をひいてあげたり、荷物を持ってあげたりするなどです。このような障害者のために実際に手をさしのべる方法はいくらでもあります。その他にできることはどのようなことでしょうか。

おそらく、今述べたことぐらいでしょう。しかし、ここに私達がなすべき重要なことが二つあります。同情し実際に手をさしのべることは大変よいことです。イスラーム教では全てのイスラーム教徒はこの二つの責任を精一杯果たすよう義務づけられています。加えて、あと二つのことが求められています。まず、体の不自由な人を見かけた時には、その人が苦しみから救われるよう祈らなければならないとイスラーム教では教えています。こういった人を見た瞬間に生じる同情の気持ちをもとに、神に私達の同胞である彼が病気や体の障害から解放されることを願い祈ることが望まれています。

次に、こういった場面に出くわした時には、人間の創造主であるアッラーの神に、私達に限りないお恵みを与えてくださったことを感謝しなければなりません。私達がすぐに心に思うことは、神様は私達に健康と力をお与えくださり、こういった体の不自由さから解放してくださっているということです。

みなさん、イスラーム教のこの美しい教えにこれから従おうではありませんか。健康に恵まれ幸福な時に神を忘れないでいれば、神は苦しみと不運の中で私達を救ってくださるでしょう。私達が神から与えられた恵みを感謝すれば、神はよりすばらしい多くの恵みを約束してくださいます。