断食とは何か?

断食の規則とマナー

聖典クルアーンは次のように戒律を定めている。

これ、信者たちよ、断食はお前たちの先人たちに課せられてきたように、お前たちもまた、守らねばならない。断食を守るならきっと、災いから身を守ることができよう。(2章184節)

断食を行う者は、夜明けの光が差し始めた時から日没まで、飲み物、食べ物等は一切口にせず、煙草を吸うことさえ差し控えなければならない。これはラマダーン月の間、毎日続けられる。断食は、健康で成人したムスリムであれば、男女を問わず義務として課されているが、例外も認められている。病人、旅の途中にある者、妊婦、乳児を育てている婦人、高齢等の理由から体が衰弱している者等の断食の厳しさに堪えられない者は、この断食の義務を免れることができる。断食のできなかった理由が、病気等の一時的なものであれば、回復した後に、できなかった日数分だけ断食を行い、その分の埋め合せをすれば良い。断食できない理由が、老齢や漫性の病気等の長期にわたったり、永続的なものであれば、無条件に断食を免除される。しかしながら、その者たちも、経済的に余裕があれば、ラマダーン月の間、貧しい者に食料を届けたり、「FIDYA」として知られる寄附と同額の寄附を行わなければならない。

イスラーム暦は太陰暦なので、29日か30日間のラマダーン月は、年毎に11日早くやってくることになる。何年も経るうちに、ラマダーン月は異なる季節にやってくることになる。キリスト教徒が行う断食のレント(大斎節)が常に春に行われるのとは、この点で異っている。

 

断食の目的

断食は、身の清浄さを増す目的で行われる、肉体的、精神的、宗教的な鍛練と考えられている。聖なる預言者の教えでは、ラマダーン月は特に神を崇拝すべき月とされている。それゆえ、ラマダーン月の間飲食を断つことは、すべての思考を神への信仰のみに集中させる手段となるのである。

更に、断食は、裕福な者も、貧しい者も平等に、同じ条件で課せられるものである。富裕階級の者たちも、自分たちより恵まれない境遇にある同胞と、全く同じ方法で、飢えや渇きの苦痛を経験する。そうすると、彼らにも、飢えや困窮が単に言葉上のものではなくなり、身をもって経験する同胞たちとの共有体験となるのである。その結果、裕福な者たちも貧しい者たちの窮乏の状態に対し、更に同情を持って接することができるようになる。

断食は、また、多くの医学の専門家たちが認める通り、肥満や太り過ぎから生ずる様々な病気の治療として理想的な方法である。

断食は、自制心を強め、肉体の欲望を制御し、放埒な生活習慣を正すものだとも信じられている。