世界に普遍の宗教

聖典クルアーンは巻頭第一頁で、全世界を支える主を称え、その最後の章で、人類の主に祈りを捧げるよう熱心に説いている。このように聖典クルアーンの最初と最後の言葉は、全世界統一の考えを物語り、単にアラブの神またムスリムの神という考えを表わしているのではない。まことに、イスラームの聖なる預言者より以前には誰も人類全体を招くことはしなかったし、聖典クルアーンより以前にどんな教典も全世界への呼びかけはしなかった。このような主張の最初のものは、イスラームの聖なる預言者のためになされ、次のようなものである: 「汝を遺わすのは人類皆のためにただ朗報を告げ、警告を発する者としてだけ遺わすのであるが殆んどの人々はそのことに気づかないだろう。」(注6)そして「『人々よ聞け、私こそまことにあなたがた全てに神の言葉を伝える者である』と伝えなさい。」

と(注7)

 

クルアーンがそれ自体を「全世界へ向けたメッセージ」(注8)と呼ぶ時、それは、

人類の真の繁栄と発展につながる手引きとしての役割を果しているのである。

 

(注6)クルアーン: 34章29節

(注7)クルアーン  :7章159節

(注8)クルアーン  :81章28節

クルアーンは今まで何度も他の教典の内容を裏付ける「立証者」と称されてきたし、ムスリム達は、自分達の預言者を信じるのと全く同じように、全ての他の預言者達をも信じるようにと命じられている。我々の信仰では、これら預言者達の間で差別することは禁じられており、いわんや、そのうちの何人かを信じ他を否定するのは許されることではない。クルアーンは云う:「我々は全て、アッラーを信じ、その天使達を信じ、アッラーの啓示が著わされた本を信じる、『アッラーの使者同志誰をも区別することはない。』と言いながら神の使者を信じる。」と。

(注9 )

 

イスラーム教の中の普遍性がその望ましい特性かどうかまた何故イスラーム教が普遍性をそれほど強調するかについて検討を加えることは無駄なことではないだろう。イスラーム教が人類に対し統一のメッセージをもたらしてからというものは、このような統一に向けての行進の歩調はどの方面でも段々と加速されてきている。現代におけるこの行進の一つの例は、各種の国際団体や連合体の建設である。

全く、これら団体は全人類の統一に向う遠くしかも、曲がりくねった道に沿って立つ道標である。

今日の先進的で文明化した人間が強く必要だと感じているものは、1400年も昔、イスラームの教えの中に解決の種がまかれることによりすでに完成されていたのだ。もちろん、旅行や伝達手段の急速な進歩が、人々と国々の間の統一にむけての行進に新しく弾みをつけたのは確かであるが。