ハッジの儀式(メッカへの巡礼)

ハッジはイスラーム教の5本の信仰の柱の1つに数えられるものである。この時期、アラブのメッカに向けて、世界各地から巡礼者が詰め掛けてくる。巡礼が、政治や経済、宗教、文化上の争い等によって中止されない限り、人間の真の兄弟愛の最も素晴しい実例が世に示されることになる。ハッジは、ズルヒッジャ月の8日から13日までの期間に行われるが、これに関連して行われる主要な儀式は、次の通りである。

 

1)イフラームを身に着ける。

男性の巡礼者は、普段着は一切身に着けず、縫い目のない2枚の布で身体を披う。一枚の布を腰に巻きつけ、下腹部を披う。もう一枚は、右肩と頭が出るように、左肩にかけて、斜めに下げる。女性は簡素な衣服を身に着け、顔は披う必要はない。

 

2)カーバ神殿の周囲を7周する。

巡礼者は、大モスクに入ると、カーバ神殿の周囲を反時計回りに7周し、預言者アブラハム(彼に平安のあらんことを)が4千年前に唱えた言葉を唱える。その意味は次の通りである。

私はここにいます。わが主よ。

私はここにいます。私はここにいます。

あなたに並ぶ者はいない。

賞賛と恵みはすべてあなたのもの。

あなたは御国に在す。

あなたに並ぶ者はいない。

カーバ神殿は、聖典クルアーンに拠ると、世界で最初に建てられた礼拝所である。

それは、とても簡素な石造りの建物であり、壮大さや建築の美しさを誇るものでもない。それは、あまりにも単純な建物であるが故に、見る者に一層深い感銘を与えるのである。

 

3)サーイを行う

巡礼者は、サファーとマルワ(カーバ神殿の近くにある2つの丘)の間を、徒歩か駆足で7回往復し、預言者アブラハムの妻ハガーが、彼女の幼い息子イスマエルに与える水を探したことを再現する。

 

4)ミナーとアラファートとムズダリファヘ行く

ズルヒッジャ月の8日、巡礼者はメッカを発ち、ミナーへ向う。そこで一晩中祈り続け、瞑想に耽る。翌日、ファジュルの礼拝を終えると、アラファートの平原へ行き、そこで露営する。巡礼者は、正午過ぎにそこへ着き、全員でゾフゥルとアッスルの礼拝を行い、日没までアッラーを念じることに没頭する。このように正午過ぎから日没までの間、アラファートに止まることは、ハッジの重要な儀式と見なされている。ズルヒッジャ月の9日、日没までにアラファートへ着いた巡礼者は全員、この時のハッジに参加できたと考えられる。

アラファートから、次にムズダリファヘ行き、そこでマグリブとイシャの礼拝を合わせて行い、その夜は、全能の神アッラーを褒め讃え、瞑想して過ごす。翌朝、巡礼者は、ファジュルの礼拝の後、日が昇る直前に出発し、ミナーへ戻る。

 

5)ラミを行う

ズルヒッジャ月の10日、巡礼者は、ジャムラ・トル・アカバを表す3本の柱のうちの1つに向って、7個の小石を投げる。これが「ラミ」と呼ばれる儀式である。これらの柱は、アブラハムが彼の見た夢を遂行しようとした時、イシマエルを生贄として捧げることを拒むようにと、悪魔によって誘惑された場所に立っている。ズルヒッジャ月の11、12、13日にも、それぞれ、ジャムラ・トル・ウーラ、ジャムラ・トル・ウスター、ジャムラ・トル・アカバと呼ばれる3本の柱に向って石を投げるラミの儀式を繰り返しても良い。

 

6)動物の犠牲を捧げる

ズルヒッジャ月の10日、巡礼者で犠牲を捧げることのできるできる者は、ミナーにおいて、山羊、羊、牛、ラクダ等を屠る。

 

7)犠牲を捧げた後、巡礼者は、頭を剃ったり、髪を短く切る。

歴史的背景

預言者アブラハムは、神の友と見なされており、彼の子孫から多くの預言者が出た為、預言者の父祖(長老)としても知られている。預言者アブラハムの捧げた犠牲の意義を理解するには、聖書やクルアーンで言及されている出来事を詳細に見直す必要がある。預言者アブラハムは、夢の中で自分が一人息子のイスマエルを殺すところを見たと伝えられている。預言者アブラハムは、彼が年老いてからやっと授った一人息子を犠牲にするように神から命じられたと悟ると、すぐに主の為に犠牲を捧げる用意をした。預言者アブラハムは夢の事を息子のイシマエルに告げ、「お前は、この事をどう思うか。」と尋ねた。すると、イシマエルは、次のように答えた。「お父さん、神があなたに命じられた通りにして下さい。神がお許しくださるなら、私は全く動じないことがわかるでしょう。」

かくして、預言者アブラハムは必要な準備に取り掛かった。準備がすべて調い、彼が神から命じられたと信じていた事を遂行しようとした、その時に、彼は再び天啓を受けた。それは、現実には既に神との約束を果たしてしまったので、代りに子羊を一頭殺すようにという神のお告げであった。預言者アブラハムの見た夢の真意は、夢の中で見た方法で自分の息子を犠牲に捧げるということではなかった。全能の神の喜びを得る為、遠く離れた不毛の谷に、自分の妻ハガーと息子イシマエルを置き去りにするようにというのが本当の意味であった。その場所で、イシマエルは、神への真の信仰を確立する為の道具となって力を尽したのである。当時は廃墟であったが、ここが最初のアッラーの家が置かれた場所であった。預言者アブラハムによって捧げられたこの偉大な犠牲は、毎年、世界中で祝われる行事となり、余裕のあるムスリムは、この神への帰依の行いを祝う為に、動物を屠る。だから、犠牲祭は、すべてのムスリムを、預言者アブラハムの例に倣い、神の命への絶対的な服従を示そうという気持ちに駆り立てるのである。

 

イードル・アドハの祝典

ムスリムは、生涯に最低一度は、巡礼を行うことを義務づけられている。ただし、それは、旅の費用を出す余裕があり、誰にも借金がなく、ハッジの旅に支障がない場合である。巡礼を行うことのできない者は、自分の住む場所で、イードル・アドハの祝典に加わるのである。

このイードは、世界各地で、たいへん厳粛に尊厳をこめて祝われる。イードル・フィトルと同様、ムスリムは、祭りの数日前から準備に取り掛かる。犠牲を捧げる余裕のある者は、イードの前に動物を買い、十分に手入れをする。動物は、体に傷一つなく、十分に育っているものでなければならない。羊や山羊の場合には、1家族で1頭を犠牲として屠り、牛やラクダであれば、1頭を7家族まで、共同で屠ることが許されている。

イードの当日は、ズルヒッジャ月の10日、すなわち、新月が出てから10日目に当たる。新月が出たことが告げられると、イードの準備が熱心に始められる。イードの前夜は、いつもたいへん忙しい為、多くの国々では、商店等が夜遅くまで営業する。イードの当日、ムスリムは、朝早くから身体を洗い、持っている中で一番良い晴れ着を着て、礼拝に出る為、広野や町の大きなモスクに集まって来る。このイードの礼拝は、2ラクアから成り、イードル・フィトルの時と全く同様に行われる。このイードの際には、朝食をとらないのが一般的であり、犠牲を捧げる者は、動物を屠るまでは、食べ物を一切口にしない。礼拝が終わると、イマームが説教を行う。この時の説教では、預言者アブラハムと妻のハガー、息子のイシマエルによって捧げられた犠牲を詳細に伝えることで、この祭りの意義が説明される。往路とは別の道を通り、全能の神を讃える歌を歌いながら、ムスリムたちは家に戻り、それぞれ自分たちの動物を屠る。イードの日には、ムスリムは次の聖句をできる限り何度も繰り返して唱える。

アッラーフアクバル・アッラーフアクバル・ラーイラハイラッラー・ワッラーフアクバル・アッラーフアクバル・ワリッラーヒルハムドゥ

和訳:アッラーこそ偉大なるお方

アッラーこそ偉大なるお方

アッラーの他に神はいない

アッラーこそ偉大なるお方

アッラーこそ偉大なるお方

アッラーこそ偉大なるお方

アッラーに讃えあれ」

このイードの祭に行われる礼拝の他に、動物の犠牲を捧げる者は、次の聖句を唱える。その意味は次の通りである。

「言え、私の祈りも、犠牲も、命も、死もすべて、万世の主である神の為にあると。」犠性を捧げた者は、その肉の一部は自分で使うことができる。残りは、親類や友人、近隣の者たちや貧しい人々に配られる。動物は、イードの当日か、その2日後までに屠られる。この祭りの際には、世界中で何百万頭もの動物が屠られることになる。祝宴や祝いの行事は、イード当日とその後2日にわたって続き、その間、犠性とされた肉で御馳走が作られる。屠殺された動物の毛皮は売られ、その収益は、数々の慈善事業に寄附される。イード基金もこの祭りの時に集められ、地域社会全体の福祉の為に役立てられる。