イスラームの聖なる日(金曜日)

ムスリムの宗教栄の義務の中で、最も重要なものは礼拝、すなわち「サラート」である。礼拝は、男女を問わず、すべてのムスリムに義務づけられている。聖典クルアーンには、次のように記されている。

「定められた形式を守り、礼拝を行うのだ。礼拝は、決まった時間に行うことが信者の務めである。」(4章104節)

日課として行われる5回の礼拝は、次の通りである。

ファジュル…日の出前に行う。

ズフル…正午、太陽が一番高く昇った時に行う。

アスル…午後に行う。

マグリブ…日没直後に行う。

イシャー…晩に行う。

これらの義務的礼拝の他にも礼拝が行われることがある。例えば、ラマダーン月の間、夜遅い時間に行われる「タラウィーフ」と呼ばれる礼拝や、早朝に行われる「タハッジュド」と呼ばれる礼拝等がある。

それらの礼拝はすべて、可能であれば信者が集まって行うものとされている。金曜日の特別な正午の礼拝は、ゾフゥルの礼拝の代りに行われる。これがジュマの礼拝と呼ばれるものである。先に挙げたいくつかの礼拝とは異なり、ジュマの礼拝は必ず集合礼拝の形で行うべきものである。実際、ジュマの礼拝は、最も重要なイスラームの祭りと言える。

金曜礼拝の招集の声で聞こえたなら、ムスリムたちは、すべての俗事を離れ、モスクに集合し、必要とされる儀式をすべて正しく行った上で、このジュマの礼拝を捧げなければならない。

「これ、信者たちよ、金曜礼拝の招集の声が聞こえたなら、アッラーを念じる為に急いで駆けつけ、商売などは放り出して来るのだ。その方がお前たちの為になるのだから。分っていれば良いのだが…。」(62章10節)

イスラームの聖なる預言者は、次のように言った。

「お前たちにとって最良の日は金曜日である。だから、この日は、私(ムハンマド)に神の祝福あれ、と熱心に祈りを捧げるのだ。そうすれば、その祝福は私のもとに届くであろう。」と。(アブー・ダーウード)

また、別の時にこうも言ったと伝えられている。「太陽は毎日昇るが、最上の日は金曜日である。アダムが創られ、またエデンの園に入ることを許されたのもこの日。そこから追放されたのも、やはり金曜日であった。」と。(サヒー・ムスリム)

これまで述べてきたように、金曜礼拝はたいへん重要なものである為イスラーム圏の国々では、ほとんどの会社や商店が昼で営業を終え、人々が礼拝に出席できるようになっている。

 

礼拝の準備

イスラームの聖なる預言者は、次のように言ったと伝えられている。

「金曜日には身体を洗い、香水をつけ、金曜礼拝へ来るのだ。既に席に着いている人たちの間に割り込んだりせずに、席に着き、祈りを捧げ、イマームが説教する為に立ち上がったなら、静かに彼の言葉に耳を傾けよ。 こうして祈るならば、その者は、その日から次の金曜日まで、罪を許される。」(サヒー・ブハーリ)

それゆえ、ムスリムは金曜礼拝には特に細心の注意を払う。彼らは身体を洗い、清潔な衣服を身に着け、香水をつけ、礼拝を知らせる呼び掛け(アザーン)が聞こえるやいなやモスクへ駆けつけるのである。」

 

アザーン(礼拝の呼び掛け)

礼拝の呼び掛けをする者は、美しく響き渡る、音楽的な声で、できる限り遠くにまで届くように朗唱する。アラビア語の、この呼び掛けの言葉は次のような意味になる。

「アッラーこそ偉大なるお方。

アッラーこそ偉大なるお方。

アッラーこそ偉大なるお方。

アッラーこそ偉大なるお方。

私はアッラーの他に神はいないと証言する。

私はアッラーの他に神はいないと証言する。

私はムハンマドがアッラーの使徒であると証言する。

私はムハンマドがアッラーの使徒であると証言する。

礼拝に来たれ、礼拝に来たれ。

成功の為に来たれ、成功の為に来たれ。

アッラーこそ偉大なるお方。

アッラーこそ偉大なるお方。

アッラーの他に神はいない。」

金曜礼拝には、農村地帯では隣接している村々から人々が集まる。また、小さな町では、その町の住人が全員集まるし、大都市では、それぞれの地域ごとに、そこの住人が集まる。礼拝者は、モスクに着くと、次の順序に従って身を浄めなければならない。

a)両手を手首まで3度洗う。この時、右手を先に、次に左手の順で行う。

b)水で3度口をすすぐ。

c)鼻孔を浄める。

d)顔を3度洗う。

e)前腕(手首から肘まで)3度洗う。この時、先に右腕、次に左腕の  順で洗う。

f)両手を濡らして、額から首までさっと撫でる。次に親指で耳の回りを撫で、耳の中も拭く。

g)足首から爪先まで、先に右足、次に左足の順で洗う。

こうして礼拝の準備が調うと、礼拝者たちはモスクの中の礼拝堂に集まる。礼拝堂の中に入る時、彼らは靴を脱ぐ。これは、イスラームの礼拝では平伏して祈る際に、敷物やじゅうたん等に額をつける為、絶対に床は汚してはならないからである。女性も礼拝に出ることは許されているが、男性からは離れて立つことになっている。通常、両者を分ける仕切りが備え付けられている。モスクは、とても簡素な建物である。壁は、普通はむき出しのままであるが、時には聖典クルアーンの節から取られた模様で装飾されている場合もある。偶像や絵、記念額、聖者の聖遺物の類は一切存在しない。音楽を奏でたり、聖歌を歌ったり、蝋燭の明りを燈すこともない。誰かの為に特別な席が設けられていることもない。王様も普通の労働者の隣りに立つし、判事と被告人が並んで座ることもある。自分の隣りに誰が立っても、異議を唱える権利を持つ者はいないのである。アッラーの家の中では、身分や貧富、地位、皮膚の色、人種、国籍等による差別は一切存在しない。モスクは、皆等しく、神を拝むという唯一の目的の為に集う場所なのである。

礼拝堂では、礼拝者が先ず4ラクアから成る礼拝を各個人で行う。1ラクアは、「キャーム」と呼ばれる立った姿勢と、「ルクー」と呼ばれるおじぎの姿勢、そして2度「スジュード」と呼ばれる平伏する動作を行うことから成る。2度目のラクアが済むと「カーダ」と呼ばれる座った姿勢をとる。次に、礼拝者は再び立ち上がり、同様に2ラクアを行い、合計4回のラクアを終える。各姿勢をとって祈る際、定められたアラビア語の聖句を声を出さずに唱えることになっている。この各個礼拝を終えると、礼拝者は、ミラブ(すなわち、カーバ神殿の方角)を向き、列になって静かに座っている。そして、その間、アッラーの栄光を賛美し、聖なる預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)に神の祝福あれと祈願する。

 

金曜説教と礼拝

礼拝が始まる直前、ムアッゼィンが再びアザーンを行う。その後、イマーム(礼拝の指導者)がミンバル(説教壇)に立ち、説教を始める。説教の内容は、通例、道徳的、宗教的、社会的、経済的等の側面から、社会の福祉を問題としたものである。また、現在、その地域集団が直面している問題や、共通の利害に関する事柄が取り上げられる場合もある。説教は2部に分かれており、間に短い休憩が取られる。その間、イマームは、2~10秒腰をおろし、それから後半の説教を再開する。説教の前半は、「ファティハ」と呼ばれる聖典クルアーンの開扉の章以外は、何語で話しても良いとされている。しかし、後半は、アラビア語だけで話され、その部分を訳すと、次のようになる。

「譛えあれ、アッラー。我らはアッラーを褒め讃える。我らはアッラーに救いを求め、庇護を希う。我らがお縋りし信ずるお方は他にはいない。願わくは、我らに災いや危害を加えるものから、我らの魂をお守りくださらんことを。我らの行いから悪い結果が生ずることのないようにお守りくださらんことを。神が正しき道にお導きくだされば、誤れる道に踏み迷うことはない。神が踏み迷った者と宣告なされば、もはやその者を正しき道へ引き戻すことはできない。アッラーの他に神はいないと証言しよう。アッラーは唯一絶対の存在であり、無比なるお方。ムハンマドがアッラーの下僕であり使徒であると証言しよう。おお、アッラーの下僕よ、アッラーがお前たちに慈悲深くあらんことを。まこと、アッラーはお前たちに公平を心がけようと命じられている。また、法の権威に反抗してはならないとも命じられている。ひたすらアッラーを念じるのだ。そうすれば、アッラーもお前たちをお忘れにはならない。アッラーに呼び掛けるのだ。そうすれば、必ずお前たちの呼び掛けに応じてくださる。まこと、アッラーを褒め讃えることこそ、最も徳の高いことなのである。」

イマームは、説教を終えると、ミフラーブ(礼拝方向を示す壁のくぼんだ所)にある席に着き、カーバ神殿の方角を向く。そうすると、礼拝者たちは全員立ち上がって、イマームの背後に列を作り、カーバ神殿の方角を向く。その列は、少しでも曲がってはいけない。礼拝者は、隣り同士肩を相接して立ち並らぶ。このようにして、全員礼拝の準備が調うと、ムアッゼィンが、礼拝の開始を告げる、以下に示すイカーマを大声で呼び掛ける。

イカーマ(始めの呼びかけ)

サラートの呼びかけは、イカーマという。

その言葉は、次のような意味になる。

アッラーこそ偉大なるお方、

アッラーこそ偉大なるお方。

私はアッラーの他に神はいないと証言する。

私はムハンマドがアッラーの使徒であると証言する。

礼拝に来たれ

成功の為に来たれ

礼拝が始まる

礼拝が始まる

アッラーこそ偉大なるお方。

アッラーこそ偉大なるお方。

アッラーの他に神はいない。

イマームは次に、2ラクアから成る礼拝を始める。イマームの動作に次いで、礼拝者は全員、同じ動作を行う。イマームが顔を右に向け、次のような挨拶の言葉を唱えて礼拝を終える。

 

「アッサラム アライクム ワ ラフマトウッラーヒ」

意味は、「あなたに平安と、アッラーの祝福のあらんことを。」である。

そして、今度は左を向いて、同じ挨拶を繰り返す。

礼拝は終始、謙虚と服従の態度を保って行われる。説教や礼拝の間は、一言の私語も許されない。この集合礼拝の後、2ラクアから成る各個礼拝が行われる。礼拝をすべて終えた礼拝者たちは、整然と列から離れ、互いに知人を見つけては、挨拶を交わす。礼拝が終われば、どんな世俗的な行為であろうと、何を行っても自由になる。多くのムスリムは、この金曜礼拝の日に、施しを行ったり、慈善的な寄附を行う。