イスラームを正しく理解していただくために、イスラームに対するよくある質問にお答えしたいと思います。

Q.イスラームでは女性の地位が確立されていると言われていますが、実際に一夫多妻制を考えた場合、矛盾しているように見えます。その点から女性の立場を説明してください。

A.このように矛盾しているように思われるのは一夫多妻制の本当の意味を知っていないためです。一夫多妻制に関する聖クルアーンの一節を紹介してみましょう。「なんじらがもし孤児の女たちに対し、公正になり得ない恐れがあるならば、なんじらがよいと思う、二人または三人または四人の女をめとれ。しかし公平に遇し得ない恐れがあれば、ただひとりだけめとるか、またはなんじらの右手が所有する者をめとれ。このことは不公正を避けるため、もっとも妥当である。」(四・三)大切な事はもしあなたが複数の妻を平等に扱うことができなければ、妻を一人以上持つのは許されないということです。現在、一夫多妻制はそのように平等な扱いをすることができなかった人達のせいで批判されています。しかし、そのような人達の行為はイスラームの本当の教えの一夫多妻制とは何ら関係のないものです。なぜならば、イスラームで認められている一夫多妻制とは平等がその基本条件となっているからです。何人かの人々によるこのような平等を欠いた行為や、制度の悪用のせいで必ずしも一夫多妻制が誤ったものだということはできません。それは、本当に一人以上の妻を持つ必要のある人達にとっては不正当なことになります。場合によっては、一夫多妻制が必要なことがあります。例えば、自分の妻が妊娠できない場合、その妻を愛しているにもかかわらず、別な女性と結婚するために彼女と離婚するべきでしょうか。なんと酷なことでしょう。イスラームではそのような時には、別の妻をめとることが許されますが、最初の妻へ以前とまったく同じ権利を与えることが条件となっています。同様に妻が万が一、気が狂った時は新たな妻を持つことができますが、最初の妻の世話も義務づけられています。国民としての人々の生活にも一夫多妻制が必要とされることがあります。戦争で大量の男性が死亡すれば、結婚相手が得られない女性はどうすればよいのでしょうか。これは大きな社会問題になります。その解決法が一夫多妻制です。このイスラームの制度は西洋人の批判の的になっていますが、実際問題としてこの一夫多妻制を認めざるを得なくなる日はそう遠くはないでしょう。

Q.先の質問の続きになりますが、イスラームにおける男女の権利の平等性についてはどのような説明がなされていますか。

A.イスラームでは男女の平等は基本的な教えの一つになっています。この詳しい説明に入る前に、男女の肉体的には異なっている点を指摘しなければなりません。従って、男女の役割、義務も必然的に異なったものになってきます。そして、それぞれの役割を通して男女の持つ全ての力を伸ばしていく最大の機会が男女共に平等に与えられています。

精神面に関しては男女は対等であるということは、神は男にも女にも恵みを公平にお与えになったのであって、男により多くをお与えになったということではありません。聖クルアーンによると「神はかれらの祈りを聞き入れたまい、仰せられた。まことにわしは、男でも女でも、なんじらのだれの働いた働きもむなしゅうしないであろう。なんじらは互いに同士である。」(三・195)とあります。

肉体面では男女の役割は異なっていて分かれています。仕事をして家族を養う役割は男性のものであり、そのために男性は家長の立場にたたされます。聖クルアーンからこの点を引用すれば次のようになります。「男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、男を女よりも強くなされ、己の資財から責やすゆえである。」(4.35)イスラームでは、女性は自分自身の富を有することも、財産相続の権利も認めています。また女性が関心のあることを行なう機会も与えられます。男女の平等を示す一例として、聖なる預言者は次のように述べています。

「知識の修得は、イスラーム教徒は男女を問わず義務である。」男女の平等を示すもうひとつの例として、離婚の権利は男のみならず女性にも与えられたものです。離婚が本当に必要な場合にはその権利は男女共に与えられたものです。実際、イスラームこそ女性にもあらゆる面で平等に権利が与えられている唯一の宗教です。聖なる預言者はどのように女性の権利が守られているか、またどのような形で女性に対してやさしさと尊敬をもって接すればよいのかを自らも実行してお見せになりました。

Q. イスラームではなぜ豚肉を食べてはいけないのですか。

A. まず、豚をさす言葉の中にその理由をみつけることができます。たとえばアラビア語ではキンズィール、ヒンディー語ではスーアルと呼ばれ、これらの意味は同じで、汚らしく卑しいということです。次に御存知のように豚は汚物でも残飯でも何でも食べる非常に卑しい動物です。その結果、このような動物を食べることは私達の肉体や魂に好ましくない影響を与えます。実際、医学的にも飲食物は人間の心身と深い関係があることは、はっきりと証明されています。したがって、このような汚らしい動物の肉を食べることは徐々に人間の性格の悪化を引き起こします。豚肉は数多くの病気のもととなることが最近明らかになってきました。まだイスラーム教が、この世に生まれていなかった頃にも古代ギリシャの医学者によって豚肉は特に人間の良い資質である慎み深さを損なうばかりでなく、恥知らずな心を育てると考えられていました。

イスラームでは心身共の健康が非常に大切であるとされているため、食べ物には常に注意すべきだと教えています。豚肉が禁じられたと同様の理由で死骸を食べることも禁じられています。いいかえれば、豚肉は人間の心身の健康と道徳的な資質に悪影響をもたらします。

イスラームのみならず他の宗教でも、例えばキリスト教も豚肉を食べることは今述べたと同様に禁じています。(レビ記第11章7・8節による)以上の理由でイスラームでは豚肉を食べることを禁じているのです。