宗教への冒涜(Blasphemy)

宗教への冒涜に対する罰についてたびたび話題になります。聖クルアーンは明白に記述しています。すべての預言者たちは(彼らに神の平安あれ)自分の民族から冒涜(Blasphemy)を受け、迫害、虐待、嘲り笑いの種にされていました。

「悲しいかな僕(しもべ)たち!彼らに来るたびに、彼らは之(これ)を嘲笑(ちょうしょう)す」(第36章:31)

「我は使徒を次々に遣わしたり。いずれの民も彼等の使徒が現れるたびに、彼等は使徒を嘘つきとして遇したり。われらは次々に彼等を滅亡へとたどらせ、そして我は彼等をただの物語にしたり。」(第23章:45)

預言者ノア、預言者アブラハム、預言者サーレ、預言者モーゼ、預言者イエス(彼らみなに神の平安あれ)ここでは少数の預言者たちだけを挙げましたが、彼らは反対者または敵に冒涜(Blasphemy)されていました。

ここで疑問に思うことが一つあると思います。預言者たちは、そうした人々にどう対応したのか?

聖クルアーンは次のように述べます。「使徒たちは貴方以前にも嘲笑されり。われらは信じないものに小休止を与え、その後、捕らえるである。わが懲罰は如何に恐ろしいものか」(第13章:33)

「貴方 以前にも、多くの使徒たちが拒否されたり。されど拒否や迫害にもかかわらず、われらの救いが至るまで、使徒たちは耐え忍べり」(第6章:35)

これらの記述からも明らかのように、使徒(預言者)は冒涜(Blasphemy)に対して我慢をし、決して感情的にならず、冷静に物事の判断をしていました。冒涜(Blasphemy)した者に、何らかの形で罰を与えるなどという行為は彼らの性格からは、程遠いものでありました。

「全世界への慈悲」という称号をアッラー(神)から得た、われわれの最愛なる預言者ムハンマド(彼に神の平安あれ)も、様々な形で迫害を受け、虐待を体験し、冒涜(Blasphemy)を受けました。ターエフ市を訪れた際は、市の若者たちが彼に向かって投石を行い、預言者ムハンマド(彼に神の平安あれ)は血まみれになりながらターエフ市を後にしました。また彼の同胞たちは、激しい迫害を受け、厳しい状況におかれ、生きていく余地さえ狭められていました。真夏の暑い日ざしの中、砂漠の炎のように暑い砂の上に寝かされ、重い石を胸の上に乗せられイスラームから背教するように言われたり、街路では動物のように引きずり回され、3年間も排斥されるような日々もありました。迫害で亡くなってしまった方々の死骸はバラバラにされ、預言者ムハンマド(彼に神の平安あれ)のおじの肝臓は食べられてしまうなどの悲劇にもあいました。

預言者ムハンマド(彼に神の平安あれ)はこうしたすべての状況を経験した後も、メッカへ再び帰ってきた際、ムスリムを迫害してきたすべての人をお許しになられました。聖クルアーンを一番良く理解し、その教えに従っていた方はもちろん預言者ムハンマド(彼に神の平安あれ)です。その彼は、冒涜(Blasphemy)に対して罰を与えるよう指示するのではなく、我慢してアッラー(神)への礼拝に専念しなさいと説きました。

残念ながら、ムスリムの中には冒涜(Blasphemy)に対して国家は罰すべきだと考えている人々もいます。しかし、われわれの知るイスラーム、最愛なる預言者ムハンマド(彼に神の平安あれ)が教えになられたイスラームでは、冒涜者(Blasphemy)を罰すべきという教えは、存在しません。聖クルアーンは次のようにのべています。

「アッラー(神)の神兆(しるし)が否定され、また嘲笑いを聞いた際は、彼等が話題を変えないかぎり、お前たち彼等と同席するなかれ。然らずんば、お前たちも彼等と同類なり」(第4章:141)