ライラ・トル・カダル(定めの夜)

この聖なる夜は、力の夜とも呼ばれている。これは、ラマダーン月のある一夜で、聖典クルアーンが初めて啓示された夜のことである。聖典クルアーンには、次のように記されている。

「ラマダーン月は、クルアーンが初めて啓示された月である。この聖典は、人類が進むべき道を示すもの、また、その導きの明らかな証拠、善と悪とを識別する神の徴…。」(2章186節)

聖なる預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)(彼にアッラーの平安あれ)に啓示されたクルアーンの最初の節は、次の通りである。

「唱えよ,『万世を創造された主の御名において。主は、1個の血の塊から人間を創られた。』と。唱えよ,『この上なく情け深き、お前の主の為に。主は、書に著わし、人間の知らなかったことをお教え下さった。』と。」(96章2~6節)

その時、聖なる預言者は、齢40歳であった。神の啓示は、彼が亡くなるまで、およそ23年間も続いたのである。

聖典クルアーンでは、定めの夜は、一世紀よりも優ると言われている。これについては、97章に次のように記されている。

「仁慈あまねき、慈悲深きアッラーの御名において。我らはこのクルアーンを定めの夜に授けた。定めの夜とは何か、いかにしてお前たちが知り得よう。定めの夜は千の月より優る。その夜、天使たちと聖霊とが、主の命を受けて、地上へ降りて来る。あらゆる事に関する主の決定を携えて。夜明けの光が射し始めるまで、この世は平和に包まれる。」

 

イスラーム教の聖なる預言者は、次のように述べた。

「ラマダーン月の最後の10日間のうち、奇数日の夜のどれかが定めの夜であるから、その夜を待つのだ。」と。

実際、ラマダーン月の間はずっと、宗教的鍛練の期間であり、ムスリムは、慈善や奉仕を行うばかりでなく、断食や礼拝を行ったり、聖典クルアーンを何度も朗唱したり、アッラーを念じること等に多くの時間を充てる。しかしながら、その月の最後の10日間は、全能の神を崇拝し、善行をおさめるように、一層努力するのである。

信者たちは、礼拝の為に大勢モスクに集まって来て、最後の10日間の夜は、アッラーを念じて過ごす。彼らは、自分たちの欠点を許してくださるように神に乞い願い、今後のうちに神が嘆願者の祈りをきっと受け入れてくださると固く信じて、聖なる夜を待ち受けるのである。

一日中、アッラーを念じることに時間を費すことのできる者ならば、その10日間は、モスクに籠る。この修行は、イティカーフ、すなわち、御籠と呼ばれている。彼らは、日中は断食を守り、義務的礼拝を集団で行う他に、昼夜を問わず、アッラーを念じ、自発的な祈りを捧げたり、聖典クルアーンの研究に没頭して過ごす。食料やその他の必需品は、モスクに籠っている間は支給されるので、彼らは、純粋に宗教上の理由以外で、モスクを離れることはできない。

このように、ムスリムは、自分の時間をすべて、アッラーを念じることに充て、この聖なる夜の定めにおいて、神の恩恵と祝福を得たいと願うのである。

イスラーム教の聖なる預言者自身も、この点では、たいへん熱心であった。彼は、ラマダーン月の最後の10日間になると、一晩中起きていて、たいへん熱心に祈りを捧げたと伝えられている。

聖なる預言者の妻、ハズラト・アイシャは、ある時、彼に次のように尋ねた、「アッラーの使徒よ。教えて下さい。もし、どの夜が定めの夜が分ったとしても、その夜のうちに、どうやって嘆願すれば良いのでしょうか。」すると、預言者はこう答えた。「このように嘆願するのだ、『アッラーよ。あなたはこの上なく寛大で、許すことを好まれるお方。どうか私にも許しをお与え下さい。』と」(ティルミジー)