4月1日~4月15日までザジャパンモスクで合同礼拝時間のお知らせです。

Prayer Timings

礼拝(サラート)につぃて

イスラーム社会の文化について、日本の方と話していると、必ずといってよいほど、イスラーム教の礼拝のことが話題になります。
そして、そのとき一日に五回の礼拝に関して、「時間的に無理だ」という意見がいつもでます。しかし、実際は時間的に余裕がない場合などは礼拝を簡略して短時間(5 – 10分間)で済ますことができる合理的な礼拝なのです。

毎日礼拝を行っている人は礼拝により精神的に安らぎを得て、その後の仕事がはかどると礼拝の効用を語ってくれます。

礼拝の意味・重要性

サラート(礼拝)は、イスラームの五つの行の中で最も重要なもので、み使いも「礼拝はイスラームの柱で、天国への鍵である」と言っています。毎日義務の礼拝として五回行いますが、それは常にアッラー【神】の教えを守り、かれを讃美し、かれに服従を誓 い、その導きと助けを求めて祈り、心の安らぎのために行うものです。

多忙な現代生活の中では、定められた時間に礼拝を捧げるのが困難な場合もありますが、そんな時には、自分の都合に合わせて、礼拝を捧げることはできるのです。むしろ、工場で働く人のような場合でも、昼休みに礼拝を行うことによって、午後の労働へ の新しい活力となり、心が落着き、事故などの防止にも役に立つでしょう。

イスラーム教の礼拝はアラビア語でサラートといいます。イスラーム教ではアッラーが唯一の神でアッラー以外のものを礼拝してはいけないことになっています。礼拝は現世だけでなく、死後の世界にも栄える人間がしなければならないことのひとつです。

礼拝にあたってはまず礼拝するところと礼拝者が清潔でなければなりません。イスラーム教では礼拝の前に手や口などを清めることをウドウーといいます。

ウドゥー(小浄)のやり方

  1. 手を洗う(3回)
  2. 口に水を含みすすぐ(3回)
  3. 鼻の穴に水をいれそそぐ(3回)
  4. 顔を洗う(3回)
  5. 手首からひじまで、左右の順に洗う(3回)
  6. 手をぬらし額からうしろの方向に髪をさわる。続いて、人差し指で耳の穴をさわる。
  7. 足を洗う(足くびまで3回)

ウドウーの後、靴下はいた場合は、24時間、または旅行中の場合3日間はぬれた手で足を触るだけでよろしいです。

各礼拝の前にウドウーを行います。

水がない場合、または病気で水を使えないときには水の代わりにタヤッムムを行います。つまり、きれいな所に触った手で顔と手を触るのです。

礼拝の名称と時間帯

イスラーム教では、一日に5回の礼拝が義務づけられており、礼拝の名称は時間により異なっています。

一日五回の礼拝–    時刻

1.ファジュル                 日の出前(明けがたから日の出まで)

2.ズフル                       お昼すぎ(正午から昼すぎまで)

3.アスル                        日没前(昼すぎから日没まで)

4.マグリブ                     日没後(直後)

5.イシャー                     寝る前(就職前)

日の出、日の入り、正午は礼拝してはいけません。

礼拝の前にモアッゼンが礼拝堂にいる礼拝者に聞こえるように礼拝への呼びかけ、アザーンを省略した言葉つまりイカーマを唱えますと皆さん礼拝を指導するイマームの後ろに並びます。顔は必ずメッカにあるカーバ神殿に向かなければなりません。

サラート・礼拝の回数

礼拝の回数はラクアトといいます。ラクアトはキヤーム、ロクー(両手をひざにあて、おじぎをする。)、サジダ(頭を地につけておじぎをする。)、カーダ(正座のようにすわる)の動作を組み合わせた単位のことです。礼拝によりラクアトの数は多少異なります。

カーバ神殿に向かって立ち、「アッラーは偉大な神」と言っておなかの前で両手を組み、アッラーを奉り、聖クルアーンの一部を唱えるのはキヤームといいます。次は両手をひざに当てお辞儀をするのはルクーといいます。

次は頭を地面につけ二回お辞儀をするのはサジダといいます。そして、最後に正座のように座るのはカーダといいます。右そして左を向きながら「皆さんに平和と慈悲あれ」といって礼拝を終わります。

イマーム(導師)と共に行われる礼拝はファラドといって中心になって義務付けられた礼拝です。その前後に行われる礼拝はスンナといいます。ウィトルの礼拝はイシャーの後または朝ファジュルの前に行います。

ナファルの礼拝はいつでもできる随意の礼拝です。

一日五回の礼拝の時刻とラクアトの回数

スンナ(前) ファラド スンナ(後) ウィトル
ファジュル 2 2
ズフル 4 4 2
アスル 4
マグリブ 3 2
イシャー 4 2 3

礼拝の心得

礼拝に当たっては次のようなことを心がけなければなりません。

身を清めること(ウドウー)はもちろん、礼拝するところを清潔にする。

できるだけ集団で礼拝する。

礼拝堂で集団礼拝の始まるまで、心の中で主の栄光をたたえ、ほめて待つ。

集団礼拝が始まれば、各自の礼拝をやめ集団礼拝に参加する。

イマーム節を忘れた場合参拝者がその節を言ってもよい。礼拝の動作を間違った場合参拝者がスブハーナッラーを言う。

旅行中は通常の礼拝を短くして行い、これをカスルといいます。

イスラム教の礼拝は家の中でも、職場でも、畑の中など、どこでやってもかまいません。

できるだけ、近くにいる信者と一緒にやるべきです。旅行中なら飛行機、電車、自動車の中などで礼拝を行ってもよろしいのです。

しかし時間的に余裕があれば近くの礼拝堂に行き集団礼拝に参加しなければなりません。礼拝堂はマスジド(モスク)といい、イスラーム社会では小さな町でもあちこちにあります。日常の礼拝は近くのモスクへ行きますが、サラートルジュムア(金曜日の礼拝)やイードの礼拝のときは町で一番大きな礼拝堂に行きます。礼拝堂は礼拝はもちろんのこと、クルアーンの勉強の場としても、広く利用されています。礼拝堂はメッカのカーバ神殿に向いています。じゅうたんなどが敷いてありまして、床で礼拝を行います。

また今度礼拝について違う角度で話して見ましょう。聖クルアーン4章44、節、24章57節、29章46節、107章をご参考までに。

礼拝の言葉

カーバに向かって立ち両手を耳または肩までもってきてアッラー  アクバルといって両手をおなかの前で左手が下で右手が上にして組みます。意味は「アッラーは偉大である」です。

次は神を褒め称える言葉を言うのです。

スブハナカッラーフンマ ワビハムディカ ワタバーラカスムカ  ワタアーラー ジャッドゥカ ワラーイラーハ ガイルカ

意味はアッラーの栄光をたたえ褒め称える。

主の御名に祝福あれ

尊厳にして高い主の威光よ

汝以外に崇拝されるべきものはない。

アウーズビッラーヒ ミナッシャイターニッラジーム

<意味>我は忌まわしい悪魔に対して我に加護を求めます。

アル・ファティハ章

ビスミッラー ヒッラフマー  ニッラヒーム

<意味>慈悲深く、恵みあまねくアッラー御名において

アルハムドゥ リッラーヒ ラッビルアーラミーン

<意味>たたえあれアッラーよろずの養育の主。

アッラフマー  ニッラヒーム

<意味>慈悲深く、恵み遍く

マーリキ ヨウミッディーン

<意味>裁判の日の執権者

イッヤーカ ナブドゥ ワ イッヤカ ナスタイーン

<意味>汝にのみ我らは仕え、汝にのみ我らは救いを希う。

イフディナッセィラタルムスタキーム

<意味>正しい道をたどらしめたまえ。

セィラタッラゼィーナ アンアムタアライヒム

<意味>汝が恵みを垂れ給えた人々の道に、

ガイリル マグズービ アライヒム ワラッザーリーン

<意味>汝の怒りを蒙らなかった人々や踏み迷わなかった人々の道に。

アーミーン

この次はクルアーンの中から自由に一部を選んで唱えます。普通は次の章を唱えます。

ビスミッラー ヒッラフマー  ニッラヒーム

クル フワッラーフー アハド

アッラーフッサマド

ラムヤリドゥ ワ ラムユーラドゥ

ワ ラムヤクッラホゥ クフワン アハドゥ

<意味>慈悲深く、恵みあまねくアッラー御名において

云え、「これぞアッラー、唯一なる神

より縋らないアッラーぞ

子もなく親もなく

並ぶものがない神ぞ。

アッラフアクバル

<意味>アッラーは偉大である

ルクー(両手をひざにあて、おじぎをすること)

スブハーナ ラッビヤル アズィーム

<意味>わが神の栄光をたたえる、養育の神、偉大な神よ、と三回唱えます。

サミアッラーフリマンハミダ

<意味>アッラーを褒め称える人の願いをかなえ給うアッラーよ

ラッバナー ワラカルハムドゥ ハムダン カスィーラン タッイェバン ムバーラカン フィーヒ

<意味>我らの養育の主、汝を心より褒め称え祝福を願います。

サジダ(頭を地につけておじぎをする。)

アッラフアクバル

<意味>アッラーは偉大である

スブハナ ラッビ ヤッルアラー

<意味>わが神の栄光をたたえる、養育の神、威光の神よ、と三回唱えます。

アッラフアクバル

<意味>アッラーは偉大である

ドゥアー(祈り・祈念)

アッラフンッマ マグフィルリ ワルハムニ ワフディニワ アーフィニ ワラファニ ワジュブルニ ワルズクニ

<意味>アッラーよ 我を許したまえ、我に慈悲を与えたまえ、我を導きたまえ、我を守りたまえ、我に名誉をあたえたまえ、我に健康を与えたまえ、我に必要なものを与えたまえ。

アッラフアクバル

<意味>アッラーは偉大である

二番目のラクアトにファテハからサジダまで繰り返します。そうしてカーダをします。

アッタヒッヤート リッラヒ ワッサラワートワッタイエバート アッサラモ アライカ アッヨハンナ ビッヨ ワラフマトッラーヒ ワバラカートフ アッサラモ アライナ ワァラ エバディッラヒッサレヒーン。

<意味>すべての礼拝はアッラーのためなり、聖なる預言者よ、汝にアッラーの恵みと祝福、そして平安あれ。

我らにもアッラーの正しい僕たちにも平安あれ。

タシャッフドゥ

そして右手の人さし指で示しながら

アシャハド アッライラハ イッラッラフ アシャハド アンナ ムハッマダン アブドフラス一ロ。

<意味>アッラー以外に神はない、ムハッマドはアッラーの使者ことを証言します。

ドゥルードゥ

アッラフンマ サッレ アラ ムハンマディン ワァラ アレムハンマディン カマサッライタアラ イブラヒーマ ワァラ アレ イブラヒーマ インナカ ハミードンマジード。アッラーフンマ バリク アラ ムハンマディン ワァラ アレムハンマディンカマバラクタ アラ イブラヒーマ ワァラ アレイブラヒーマ インナカ ハミードゥンマジードゥ。

<意味>アッラーよ、アブラハームとその僕たちに恵みを与えたようにムハンマドとその僕たちに恵みを与えたまえ。まことに主は讃美すべき方。栄光に満ちた方なり。

アッラーよ、アブラハームとその僕たちに祝福を与えたようにムハンマドとその僕たちに祝福を与えたまえ。まことに主は讃美すべき方。栄光に満ちた方なり。

ドゥアー(祈り・祈念)

ラッバナー アーテナ フィッドニャ ハサナタン ワ フィル アキラティ ハサナタンワケナ

アザバンナール。

<意味>我らの養育の神よ、現世に我々に幸せを賜い、また来世でも幸せを賜え。業火の懲罪より我らを守りたまえ。

ラッベジュアルニ ムキマッサラーティ ワメンズリヤティ ラッバナ ワタカッバル ドア。

ラッバナグフィルリ ワレワーレ ダイッヤワレル ムメニーナ ヨーマ ヤクムル ヒサーブ

<意味>主よ、我と我の子どもたちが礼拝を行うよう導きたまえ、主よ、清算が確定する日には我と両親、そしてすべての信者たちを許したまえ。右そして左を向いて

アッサラーモ アライクム ワ ラフマトッラー

<意味>あなたがたにアッラーの平安と慈悲があるように。といって礼拝が終わるのです。

アザーン

集団で礼拝するとき礼拝の前の呼びかけとしてアザーンの言葉と意味を伝いたいのです。礼拝者の一人がカーバ神殿の方向に向かって大きな声でゆっくりと次のように朗唱します。

アッラーフ アクバル アッラーフ アクバル

アッラーフ アクバル アッラーふ アクバル

<意味>偉大な神アッラー(4回)

アシュハドゥ アッラーイラーハ イッラッラー

 アシュハドゥ アッラーイラーハ イッラッラー

<意味>アッラーのほかに神がないこと証言します(2回)

アシュハドゥ アンナムハンマドッラスールッラー

アシュハドゥ アンナ ムハンマドッラスールッラー

<意味>ムハンマドはアッラーの使者であることを証言します。(2回)

ハッヤ アラッサラー ハッヤ アラッサラー 

<意味>いざ、礼拝の場へ(2回)

ハッヤ アラルファラー ハッヤ アラルファラー

<意味>いざ、繁栄の場へ(2回)

 アッラーホ アクバル アッラーホ アクバル

<意味>偉大な神アッラー(2回)

ライラハ イッラッラー

<意味>アッラーのほかに神はない(1回)

ファジュル(黎明)のアザーンには「ハッヤ アラルファラー」の後

アッサラート ケイル ミナンノーム

<意味>「眠りより礼拝の方が良いです」と2回付け加えます。

礼拝が始まる前に礼拝者の一人が次のようにアザーンの言葉を省略して唱えますが、「礼拝が始まるよ」と付け加えます。これをイカーマといいます。

サラートゥルジュムア(金曜合同礼拝)

イスラームでは金曜日は聖なる日と思われます。祝日のように身を清めて,着飾って正午過ぎに礼拝堂に集まり、ジュムアの礼拝を行います。病人、夫人、幼児、旅人などは本人の都合に任されます。健康な成人なら合同礼拝に参加しなければなりません。

まず、イマーム(指導者)が参拝者に向かってクトバ(説教)をします。それが終わるとイマームの指導の下2ラクアトの礼拝が行われます。みんな静かに説教を聴き、お互いに話は一切しません。ジュムアの礼拝が終わりますと、自分の仕事に従事してもかまいません。

イードの祝い

イスラーム教徒は年に2回イードを祝います。断食の月明けにイードルフィタル、そして、その10週間後にイードルズハーがあります。日本のお正月のようにみんなが楽しい祝日です。断食の最後の日の夕方西の空に出てくる月をみんなで待ち、月を見つけると「見えた、見えた」と

感嘆の声をあげてイードの祝いの準備に取り掛かります。イードの日は身を清めて一番いい服を着て、香水をつけ家族そろって集団礼拝に出かけます。主婦は朝早くからごちそうを作り、それを子供たちが近所の家に配ります。親戚や近所の家を訪問しあいプレゼントを交換します。子供たちはおこづかいをもらったりして楽しい一日を過ごします。

イードルズハーはアブラハーム預言者が自分の息子イスマイール、アッラーにささげようとした記念の日です。断食のイードと同じように祝います。この日は家畜をいけにえとしてアッラーにささげみんなで分け合って食べます。

午前中それぞれの町の都合により礼拝の時間が決められ2ラクアトの礼拝が行われます。礼拝の直後説教があります。この礼拝の前にはアザーンモイカーマもありません。しかし第一ラクアトでは7回、第2ラクアトでは5回アッラーアクバルつまりは神は偉大である言葉を余分につけ加えます。

サラートゥルカスル

旅行中は通常の礼拝を短くして行います。これをカスルといいます。近くても市外に出た場合カスルを行います。

サラートゥルジャマー

礼拝をまとめてやることをジャマといいます。旅人や病人はもちろん、台風などの天候不良のときや個人的な理由などでやむをえない場合は二つの礼拝をまとめて行ってもよいことになっています。

サラートゥルタハッジュド(イシャー後に眠り、起き出して行う任意の礼拝)

タハッジュドは随意の礼拝で、夜明けまでに2ラクアトから8ラクアトまで自分の都合に合わせて個人で行います。

サラートゥルジャナーザ死者への礼拝

お葬式の礼拝はサラートルジャナザといいます。死者を弔い、祝福を祈るために行うものです。遺体を清めて白い布で包み、広いところへ運んで生きます。台の上において参例者は奇数の列にカーバ神殿の方向に向いて並び立ったまま五分間ぐらいお祈りします。このお祈りのときはアザーンやイカーマ、ロクー、サジュダなどはいけません。

イスラーム社会ではお祈りの後墓地まで行くのは望ましいことです。葬列に出会った人は道を譲る習慣があります。埋葬の後、そのお墓のそばに立ってみんなでお祈りします。

日食や月食になったときに行う礼拝もあります。多くの信者が礼拝場に集まり、2ラクアトの集団礼拝を行います。