イスラームにおける諸宗教対話・協力
世界の人々と手をつなぎあい、平和な世界をつくるという願いから、世界アハマディア・ムスリム協会は、宗教間協力を基盤とした平和活動を使命と考えています。そのため、宗教の壁を超えた交流を積極的に行ってきました。
アハマディア協会は最高指導者の指導に基づき世界中で世界宗教者会議を催し、お互いの宗教を認め合い、理解し合うことが世界平和の第一ステップと考えています。
世界の様々な宗教者がお互いの違いを認め合い、平和のために対話し、協力していくために、日本アハマディア・ムスリム協会も毎年、日本宗教者平和会議を開催しています。その第5回の集会が、3月11日に愛知県津島市のザジャパンモスクで開かれました。
今年のテーマは、『宗派を超えて:震災支援やボランティアに関する意見交換』でした。
今度は第6回宗教者会議は5月4日に、ザ・ジャパンモスクで宗教者による宗派・教派を超えた対話が行われます。
この会議の目的は、あらゆる宗派・教派の方が集まり、対話を通してお互いの信仰を高め合うのが目的です。他の宗派の方が「宗教はヒューマニティーを統一する平和と協調の神の導き」という題名で自らの立場から意見を述べます。
世界平和を望むアハマディア・ムスリム協会
いま、世界は激動の時代を経験しています。世界的な経済危機が続き、ほぼ毎週ごとに、より深刻な危機が新たに生じています。第二次世界大戦前の状況に酷似しているとも言われるように、誰も経験したことのないペースで、恐ろしい第三次世界大戦へと世界が動いているのは明らかです。急速に事態の制御が不能になってきているという感覚が広まるなかで人々は、平和への道はまだ残されているという希望を与えてくれる誰かを、具体的で堅実な方法を提示してくれる誰かを、そして自分たちの心に訴えかけてくる信頼できる誰かを求めています。核戦争の結末はもはや考るまでもなく、壊滅的でしかありません。
各国で実施してきた演説で、アハマディア・ムスリム協会の最高指導者であるハズラト・ミズラ・マスルール・アハマド師が公表したガイダンスを以下に集約しました。過去数年間、事態が明らかになるにつれ、師は世界がどこへ向かっているのかを世界に向けて、決して恐れることなく警告してきました。これは人々を驚かせるためではありません。世界がどのようにしていまの状況に陥ったのか、そしてこの大難をどのように防ぐのかについて考え、この「地球村」に住む全ての人々の平和と安全への道を準備してもらうためです。師は、平和を確実に実現する唯一の方法について次のように率直に表明しています。世界が謙遜と正義の習慣を取り入れ、謙虚かつ従順に神の救いを求めること、つまり人々が慈悲深く、強者が尊厳と敬意と正義をもって弱者に接し、弱者も強者もともに感謝の意を表し、真実と正義の習慣を取り入れ、全ての人々が謙遜と誠意をもって創造主の救いを求めることだと。
イスラームにおける諸宗教対話・協力
1)世界の全ての宗教は、イスラーム教を信じるか否かに関わらず、宗派間や宗教間の争いを解決する手段として、暴力や強制の使用を如何なる方法でも許さないイスラーム教の基本的原則に従わなければなりません。宗教の選択、つまり自分の宗教を信じたり変えることを告白し、その信じる宗教を伝え守り、実践し、または信仰を非難したり、止めたりする自由は、絶対に守られなければなりません。
2)他の宗教が、真実の普遍性に関するイスラーム教の概念に同意しなくても、また例えば、ユダヤ教、キリスト教、仏教、儒教、ヒンズー教、ゾロアスター教などの視点から見て、他の宗教が全て偽りで自らの神とは無関係である、つまり他の宗教では他の宗教の真実を否定しているとしても、全ての宗教は、他の宗教の創始者や聖人に尊敬と畏敬の念を示すイスラーム教の原則に従わなければならない。その場合、自分たちの原則を妥協する必要はありません。これは基本的な人権の問題でもあり、宗教上の感性や意見が冒涜されたり犯されることのない、全ての人間の権利が認識されなければなりません。
3)上記の原則は、どの国内法または国際法でも強制できないことを忘れてはなりません。神への冒涜だからといって、人の手による罰で報復することを正当化することはないが、そのような行為を不当で不謹慎な、忌まわしいものと糾弾するために世論を促して、それが非難され阻止されるべきであるという原則と併せて理解されるべきです。
4)アハマディア・ムスリム協会が導入したような、宗派を超えた会議が広く奨励され、促進されるべきです。こうした会議の精神は、以下のような特徴として要約ができます。
- 全ての発言者は、他の宗教を中傷することなく、個々の宗教の長所と、人を引きつける際立った特徴を強調するように勧められるべきです。
- さらに、一つの宗教に属する発言者は、むしろ純粋に他の宗教の長所を発見し、それらについて論じ、感銘を受けた理由を説明するべきです。
c) 様々な宗教に属する発言者は、他の宗教の指導者の気高さや人格に敬意を払うべきです。例えば、ユダヤ人の発言者は、全ての人が自らの宗教的教義を傷つけることなく理解できる、聖なる預言者ムハンマドの際立った特徴について話題にすることができます。同様に、イスラーム教の発言者がクリシュナ、ヒンズー教の発言者がイエス·キリストに関して、仏教徒がモーゼに関して話題にすることが可能です。20世紀の三十年間に、インドにおけるヒンズー教徒とイスラーム教徒の関係を改善するために、このような会議がアハマディア共同体によって開催され、多大な恩恵とともに好評を博してきました。
d) (c)での提案を損なうことなく、宗教間対話の神聖さは、各宗派や信仰の間で守られなければなりません。宗教間の意見交換は、宗教的和平を妨げる企てとして糾弾されてはなりません。糾弾されるべきは対話の方法であって、対話自体ではありません。意見の自由な流れは基本的人権の中で最も重要であり、適者生存にとって不可欠なものです。それは如何なる犠牲を払っても妥協してはなりません。
e) 意見が異なる範囲を狭め、合意する可能性を広げるために、全ての宗教が他の宗教の信者との議論を、個々の宗教の根源までさかのぼって実施するという原則に応じることは極めて重要です。全ての宗教はその根源では同じであるというクルアーンの声明は、軽々しく扱われるべきではありません。それは人類全体の利益だけでなく、全ての宗教自身の利益としても調査、検討されるべき知恵の世界を構成しています。
5) 人類の相互利益のための全ての優れた計画や制度における協力を促進し、奨励しなければなりません。例えば、慈善事業をキリスト教徒、イスラーム教徒、ヒンズー教徒、ユダヤ教徒などの間で共同して実施することが可能です。その時になってようやく、我々は過去の賢人や思想家たちのユートピアの夢、すなわち宗教的、社会的、経済的または政治的な分野など重要な人間活動の全ての領域で、一つの旗の下に人類を結束させる夢の時代を、希望を持って実現することができます。