聖クルアーンの保存

一つの教えが永遠であるためには、それがただ単に完全で非の打ちどころのないものであればよいというのではなく、それがもたらされた時の所のままで永続的に保存されるような保証があるべきだ。クルアーンはこの基本的要求を完全に満足させるものであり、クルアーンを送って下さった神はこのことを非常にはっきりとした言葉で次のように述べておられる;

「我々はこの本 ―聖典クルアーン― を送り、これに確かな保護を与えよう。」と(注13)

 

言い換えれば神は自らこの書を保存され、どんな手も加えられることは許されなかったのだ。この教典保護の一つの方法は、神の意志に従って、どの時代にも常に何十万もの人々がクルアーンの教えを暗記してきたことであり、これを実行することは今日なおも続いている。神のメッセージの本当の主旨と真髄を保存する第一の方法は、神が実際に各世紀毎に指導者や改革者を指命し、その上末日には“偉大なる救い主でありメシア”である一人の人物が到来すると預言したことである。この救い主は全能の神自らにより精神的指導者として任命され、神の導きのもとでイスラームの信徒達の間のくい違いや矛盾を解決し、このようにして聖なるクルアーンの誠の精神を保存すべく指命を与えられたのである。

(注13) クルアーン:15章10節

 

 

もちろん、このクルアーン保存についてのいかにもクルアーン的な考え方には、何か信頼すべき確実な証拠に裏付けされているかどうかという疑問がある。この問いに答える一つの証拠は、非常に多くの非ムスリムの学者達が、イスラームの聖なる預言者の死後クルアーンの教えのどんな細部にも手を加えた跡を見出そうとして、不本意ながら完全に失敗したという事実の中にある。事実この分野における集中的な研究の後に、多くの非ムスリム学者達が、クルアーンは正しく元来の姿のまま保存され手を加えられたことがないと、やむをえず公言せざるを得ないことになった。たとえば、Sir William Muirは彼の著書“The Life of

Muhammad ” (「ムハンマドの生涯」)の中で、「クルアーンのどの一説も、ムハンマド預言者が自ら伝えた節や文章そのままに、どんな修正もなく今に伝えられていることがはっきりと推定できる。」(注14)と述べている。「また一方ムハンマド自身が伝え且つ使用したテキストを中身も外観もそのまま我々が今所有しているという事実がある。」と。(注15)

Noldekeは言う。「僅かな書き誤りはあったかもしれないが、Uthman時代のクルアーンは時には非常に奇妙な順序で書かれているとはいえ、その中身は真実以外の何者でもない。クルアーンに後日の加筆があったと証明しようとするヨーロッパの学者達の努力はむなしいものに終わった。」と。