日本の皆さんへ平和のメッセージ

200659日ヒルトン東京にて世界アハマディア・ムスリム協会現最高指導者ミルザ・マスルール・アハマド師が演説を行っている様子 200 ご来場の皆さま方、こんばんは。

皆さんに平安がありますように。

今から数分間、どうやってこれから平和を作っていくのか、相互理解を深めていくのか、話をしていきたいと思います。

現在、世界中に、はびこっている誤解の中に、イスラーム教というその教えは、自分の権利の主張や、獲得、または、社会的な地位の確立のため、武力、過激な主張を教えているというものがあります。第一にそのようなものは、全くまちがった印象です。

その証として今日は、いくつかの引用を聖なるクルアーンからいたしたいと思います。

聖クルアーンはイスラーム教徒のための法であり、その中にすべての、社会的・経済的・宗教的、その他の問題に対する解決の仕方が教えられています。

次に我々は考えなければならないことがあります。そういった過激な行為の背景にいるイスラム教徒個人またはグループを追求せずに、なぜイスラム教またはムハンマド預言者(彼にアッラーの平安あれ)が攻撃の的になるのでしょうか。

他の信念を持った、他の宗教を信じている人々も、似たような犯罪を犯します。少し前をふりかえってみれば、東ヨーロッパの世界においても同じような犯罪が、繰り返されていました。今日現在も世界の超大国といわれる国々も、非武装市民に無差別な空爆・爆撃またミサイル攻撃のような犯罪を繰り返しています。そのような犯罪行為と、なぜ彼らの持っている宗教とを関連付けないのでしょうか?

敬虔なイスラーム教徒はイスラーム教のすばらしい教えに悪い名前を与えようとする努力を見るととても傷つくのです。彼らはイスラムの美しい顔からそういった間違った疑いまたは印象を取り除こうと必死になるのです。

今の時代が聖なる預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)の預言どおり現れる改革者を必要としていることをアハマディアムスリム協会は信じています。聖なる預言者はその改革者を約束されたメシアとマハディと名づけたのです。

世界に平和をもたらすことと、創造主を理解させるためにすべてのイスラム教徒と他の宗教の人々を一つにまとめるのはこの改革者の役割です。

アハマディアムスリム協会は、そのメシアとマハディが現れたことを信じています。

そして彼の言葉の中に、聖クルアーンの正しい解釈が述べられ、美しいイスラームの教えが述べられています。その教えというのは、愛であり、平和であり、そして兄弟愛です。 

その教えは世界の人々を「平和を愛する共通な教え」へと導いて、創造主に近づけさせるものでもあります。

それでは、聖クルアーンの中からこの教えについて引用したいと思います。

「全ての社会のレベルにおいて、平和・愛・兄弟愛というのを広めていかなければいけない。」 この教えの中で、正義、そして平和についてさまざまな言及がなされています。このお話をするために、1500年前に書かれた、聖クルアーンの言葉を引用したいと思います。

預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)がメッカにおいて、神の教えを民に伝え始めた時、そのもとに集った人々を多くの人たちが迫害していました。その迫害を受けた人々というのは、貧しい人々であり、社会的に身分の低い人々でありました。

中には火に焼かれた者もおりましたし、暑いさなかに昼間熱い石をせなかに乗せられ、砂漠に放置された者もいました。

中には体を2頭のラクダにしばりつけられ、そのラクダを全くちがう方向に走らせ、体を真っ二つに引き裂かれた者もいました。

預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)自身も、彼が演説を始めようとすると、その周りに暴徒が集まり、彼の後ろをついて歩いて、石を投げかけました。

そして預言者とそれにつき従う信者への迫害が大変ひどくなり、いろいろな国へ放浪しなければならない日々が続きました。

そして最後にメディナに移動しました。そしてメディナに移った後、メディナの人々はイスラーム教を受け入れ、聖なる預言者を受け入れました。

しかしそのこともメッカの人々は、気に入らずメディナに移ってからも攻撃を続けました。このさ中にもイスラーム教はどんどん広まり、多くのアラブの民族の間に広まっていきました。

メディナに移ってから、イスラーム教が武力で大きく広まったという間違った印象を与える人がいますが、そんなことはありません。

メディナにおいてまずイスラーム教徒は、平和をみつけることができました。メッカの人々はそれでもまだ攻撃を続け、メディナの人々が、イスラム教徒を守るという形になりました。イスラーム教徒もメディナの人々を守りました。イスラーム教徒は戦いの時も、平和な時も人々を守りました。      

これらは事実であり、決して隠されたことではありません。

このようにイスラーム教は迫害され続けたにもかかわらず、聖クルアーンは次のような教えを説いています。

第5章の3節です。

「かつてお前たちを聖殿よりはばめるものをうらみて、敵意を彼らに抱くなかれ。むしろあい助けて正義を行い、神を敬え。」とあります。

これこそがイスラームの教えです。イスラーム教を信じた人々は、メッカの人々によってさんざん迫害を受けてきました。そしてまた、メッカにモスクで礼拝をする事も許されず、その後やっとホダイビア条約において平和がもたらされても、巡礼が禁止されるという浮目にあったにもかかわらず、決して彼らをうらんではならないと、聖クルアーンで教えています。

さらに人々が崇拝している場所を、侵してはならないと書いてあります。そして、正義の精神のもと敵が困っている時は、戦中の敵を助けよと書いてあります。また、助けを求める者がイスラーム教徒ではないからといって、差しのべた手を引っこめてはいけないと書いてあります。

今申し上げた聖クルアーンの内容からもわかるとおり、歴史の中で、いかにメッカの人々に迫害され続けてもその敵に対して正しい行為を行ってきたかを考えるに及んで、彼らがいかに平和を愛し、そして平和的な、社会を樹立しようと努力してきたかを、わかっていただけると思います。

正しい行い、つまり相互理解を深めるような、そのような行為は、正義に導かれ、そしてまた正義を行う人々というのは、神に近づくのだと書いてあります。

また、もう一つ大きく誤解されている内容に、ジハードの名のもとに死ぬことが出来れば、それは神によって受け入れられるという大きな誤解があります。それはテロリストが、ジハードのもとに死ぬことによって、神に受け入れられる、神に喜ばれるというものです。

しかし、実際は聖クルアーンから今、引用したように、敵にさえも行き過ぎた行動をしてはならない、と聖クルアーンは伝えています。本当に神様が喜ぶのは、行き過ぎた行動をしない人々に対してです。

また、イスラーム教は自由意志を尊重する宗教だということも、ここで申しあげておかねばなりません。「宗教は強制するものにあらず」と聖クルアーンの中に書かれています。これが本当の教えです。そのような教えの宗教を、どうして暴力の源である宗教だとか、残忍の源である宗教などと言えるでしょう。

本当の意味で正義がなされ、フェアプレイが行われるのであれば、社会の中で平和を作ることが出来るでしょう。そういったものが無ければ、社会の中に平和を作っていくことはできません。

社会の中に不安定さ、そしてまた政情不安があれば、平和というものを作ることは出来ません。この点に関しても、聖クルアーンの中に美しい教えがあります。

聖クルアーン第5章9節に、「汝、信徒たちよ。正義に基づいて立証し、アッラーのために堅忍不抜(※我慢して耐えて、心を動かさないこと)たれ。人々への敵意をかりたてて、正義に悖る行いをするなかれ。常に公平であれ。かくするは真の篤信なり。アッラーを畏れよ。アッラーはお前達の所業を熟知し給う。」

と書いてあります。 正義を行うことそのものが平和の前提でり、敵に対してさえも正義でもって、公正に立ち向かわないと、正義をもたらすことが出来ません。このような教えを読んで頂ければ、イスラーム教徒がテロリストであるとか、社会の平和や秩序を乱すものであるという考えは、無くなるでしょう。

それでは、イスラーム教の預言者ムハンマドの話を、皆さんにお話しましょう。預言者ムハンマドは、たくさんの人々に対して様々な貢献をしました。イスラーム教に対して、信念を持たない人々に対しても、たくさんの貢献をしました。前にも申し上げましたように、預言者がメディナに移住した際、たくさんのメディナの人々がイスラーム教を受け入れてくれました。

その結果、メディナの政府の運営が、イスラーム教徒にまかされたのです。しかし、その当時メディナには、すでにユダヤ教の住民がいました。彼らはイスラーム教にはなりませんでした。そこで、社会の中で平和・秩序を保ち、信者の間で互いの権利を守る為に、あるルールを作ったのです。そのお話を少ししたいと思います。

そのルールの第一点目は、各個人は宗教を信じる自由を持つ、第二点目は、そして全ての人々の命、また持ち物は、尊重され維持しなければならない。第三点目は、全ての紛争と争いごとは神の前に持ち出し、そしてそれを正しい法律にのっとって、また彼らが信じる宗教にのっとって裁くべきである。第四点目は、もしユダヤ教信者に対して、またはイスラーム教の信者に対して誰か他の者が、戦争をおこすような場合には、互いに協力して自分たちを守る。

他にもいくつかのルールがあります。それらによって新しい秩序を持った社会を作ろうとしたわけです。そしてまた、キリスト教徒に対してもこうしたルールを持つことによって、秩序を持って平和を保とうとしました。このキリスト教徒たちに対しては、私が個人的に彼らの安全を保証する。私が設定したこの秩序に相反する者、そして私が設定した、ルールに反対する者、私の命令を聞かない者、それはアッラーの、み言葉にさからう者である。

そしてメディナにある全ての教会、聖なる場所、人々が宗教的に大事にしている全てのものを、私は私自身の責任において保証し守る。協会をモスクや宿にかえてはならない。イスラーム教徒以外の女性を強制的にイスラーム教徒と結婚させることは出来ない。イスラム教徒の男性とキリスト教徒の女性が結婚する場合、もし彼女がキリスト教からイスラーム教に改宗したくないというならば、その意志が尊重され、そのままキリスト教徒でいるべきである。他にも様々な条件が設定されました。

また、この平和と寛容の意志というのは、メッカを陥落する時においても示されました。つまり、聖クルアーンの教えに基づき、ムハンマド預言者は、武器を持たない人に対しては、こちらからも刀をふりあげないと宣言しました。次にこう述べました。

そしてメッカの人々よ、あなたたちは私の親戚を殺害した残虐な人々であるけれども、その人々を私は許す。

そして、それぞれの自由意志において、自分の信念を、自分の信仰を守るが良いと、預言者は言っているのです。今申し上げたことで、いかに彼が寛容な精神を持ち、社会の中で個人の自由を認め、秩序を保とうとしたか、お分かり頂けるかと思います。これこそが社会の中において、平和を維持する、最も正しい道だと皆さんも納得するはずです。

このような事実を知りながら、預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)がテロリストである、または、残虐な行為をする、などと言う者がいます。これは全くの不正な行為です。

今日お越しの皆様に、私が最後に申し上げたいのは、ぜひ様々な事実というものを、絶対的な正義という観点から見て、評価していただきたいと思います。今、世界で行われている、つまり「和平を作るためにとられている、ステップ」というものが本当の意味で、「正義をなしているもの」かどうか見て頂きたい。テロリストに対する罰というものが、それ相応のものか、それともその罰の方が、より大きなものになっていないか。無差別に空爆することによって、若い世代に「憎しみをもたらしているのか」、「平和の種をまいているのか」。我々が、注目しなければならないのは、自爆テロを防ぐために、女性や子供たちを犠牲にし、町を瓦礫と化することが、正しいやり方なのだろうか、ということです。

もしそれが正しい道というのであれば、世界は破滅への最後の一歩となっています。第三次世界大戦の兆候さえも、水平線上に見えようとしています。日本の皆さんは、第二次世界大戦によって、多大な被害をこうむられた方々です。ですから、第三次世界大戦の恐ろしさが充分に知り尽くされていらっしゃるでしょう。従って、私はあなた方が第三次世界大戦の勃発を未然に防ぐために、あなた方に大きな期待をよせています。

アッラーはその防止の手助けをしてくれるでしょう。しかしながら、我々が出来ることはアッラーが、この美しい世界を守り、そして破壊へのステップから我々を遠ざけ、そして、彼の英知によって我々が、平和をもう一度築けるようにする。そのような世界が来ることを、祈るだけです。

 今日は、貴重な時間をさいて私の話を、聞いてくださりありがとうございました。皆様にアッラーのご加護がありますように。

アーミン