東日本大震災復興祈願祭

2016年3月11日、東日本大震災復興祈願祭が愛知県津島市のジャパンモスクで行われた。 渡辺観永(浄土宗想念寺住職)、岩村義雄(神戸キリスト教会会長・牧師)、アニース・アハマド・ナディーム(日本アハマディアムスリム協会日本本部長兼主任宣教師)、嶺崎寛子(愛知教育大学准教授)の4名(敬称略)をパネリストとして迎え、宗派を超えて震災支援やボランティアに関する意見交換をし、地震発生時刻には震災犠牲者のために祈りをささげた。パネリストの多くは、東日本大震災後、ボランティアとして被災地を支援し、被災者の方々と深く関わってきた。今回の祈願祭は、その経験に裏打ちされた貴重な声を聞く機会となった。 祈願祭は渡辺住職が司会をつとめ、住職の阪神淡路大震災や東日本大震災への支援の経験を踏まえつつ、他のパネリストに質問をするという形で進行した。渡辺住職は、宗派を超え、愛知仏教会でニーズの取りまとめをしたこと、支援の現場で宗派が違うというクレームがきたことなど、仏教系の支援活動の概要を体験をもとに説明された。また、被災地が当時どのような状態にあり、被災者がどのような精神状態にあったか、今の被災者の様子など、参加者に必要と思われる情報提供も併せてなされた。渡辺住職が強調したのは「非常時には人の本性が出てしまう」ということであった。ボランティアとして関わるにしても、被災者としてあるとしても、震災という非日常では「本性が出てしまう」。この言葉の重さや意味するところは、非日常を経験したことのない方には伝わりにくいかもしれない。しかしその伝わりにくさもご存知の上で、その点を繰り返し強調する渡辺住職の言葉は、誠に示唆に富む。 岩村牧師は信仰と支援との関係を、聖書から語句を多く引きつつ語られた。神のために、神の所に近付くために支援をするのではなく、それは結果として神が知り給うこととし、言葉によらず生き様が大事で、支援の心を学び、祈ることが大切と強調された。岩村牧師は学生を連れて被災地を訪れる経験を通じ、被災者の声を聞き、触れ合い、肌で知ることで学生の意識が劇的に変わるのを何度も傍らで目の当たりにしたという。書物や想像ではなく、実際に経験すること、被災者と交流することの教育効果について述べられた。被害体験など、被災地で経験されながらも語られないことと、その重みなど、被災地に通った方ならではの語りは、参加者に感銘を与えたことと想像する。 嶺崎はイスラーム研究の立場から、日本でイスラームが負のイメージを持つことについて、その来歴を説明した。ジハードは日本では剣による聖戦と理解されているが、ジハードの語源であるアラビア語「jihad」は「努力する」という意味であり、本来は剣による聖戦に限らず、広く信仰のために努力することを指すと補足説明をした。またHumanity First(アハマディア協会のメンバーが中心の、宮城県石巻市立湊小学校で支援を行った団体)の援助が被災者に好意的に迎えられたのは、①被災者を尊敬する気持ち、②被災者の声やニーズに耳を傾ける気持ち、③被災者にお返しを求めない気持ち、の三点によるとした。 質疑応答の時間にフロアからは、震災により孤児や片親になった子どもたちへの支援についての質問などが寄せられた。 ほぼ男女同数、約30名の参加者があり、祈願祭後はモスクの2階に場所を移し、チャイなど、パキスタン料理の軽食を食べながらの懇親会となった。この会は、全体を通じて、震災から5年という節目の時期に被災地から距離のある愛知県で、ボランティア活動の概要と、被災者にとっての東日本大震災とその後を生きることの意味を知り、震災と支援の経験をシェアする貴重な機会となった。

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