イスラームにおける真のジハード

イスラームにおけるジハードの概念はここ数年大きな論争の種となっています。

インド、カディアンに到来したアハマディア・ムスリム協会の創始者、約束されたメシア(救世主)ハズラト・ミルザ・グラーム・アハマド師は、現在から百年以上前に「聖クルアーンおよび、預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安と祝福がありますように)によると、信仰に関する事柄における武力行使は完全に禁止されている」と、はっきりと述べています。
この文献の中では、約束されたメシアの書き残した書物の中から抜粋してご紹介します。

イスラームの理念はその本来の特質のもとに広められる

真のイスラーム教徒は、イスラーム教が剣によって広められるべきであると信じたことはありません。イスラーム教は常にその本来の特質に基づいて広められています。しかしながら自らをイスラーム教徒とよびながら、剣に頼ってイスラームを広めようとする者達は、イスラームの本来の意味を知らない者達で、そのような彼らの行いは野獣の行動と似ています。

(Sitarah Qaissariyyah Ruhani Khazain  Vol. 15,p.120-121,1889)

聖クルアーンは武力による信仰の布教を明確に禁じ、イスラームの本来の特色やイスラーム教徒たちの良い先例を通しての信仰の布教を教え、その活動のために武力を行使することをはっきりと禁止しています。イスラーム教徒は始めから剣をかざすことを命令されていた、という間違った概念に誤って導かれてはいけません。

剣は信仰を広めるために使用されていたのではなく、イスラーム教の敵に対する防衛、および平和、安全の樹立のために使用されたのです。
また剣が信仰を強制することを目的とすることも全くありませんでした。
(Sitarah Qaissariyyah, Ruhari Khaza’in, Vol.15, p.120-121,1889)

約束された救世主は剣で無心信者と戦うことはない

約束された救世主が天国から来られ、無心信者と戦い、人頭税を認めず、イスラーム教か死かの選択のみを与える、と幾人かの聖者が予言したという一般的のとらえられている教義は全くの間違いです。それはすべて全くの間違いであり、迷惑なもので、聖クルアーンの教えに反した詐欺師の仕業です。
(Nur-ul-Hap, Ruhani Khazain  Vol 8 p67 1894)

ジハードの意味

私はすでにウルドゥ語、ペルシア語、アラビア語で本を書きましたが、その中で、イスラーム教徒の間に一般的に信じられているジハードの概念(残忍な指導者に対する期待や他人への悪意の増殖など)は、狭い了見しかもたない聖職者が抱く誤った考えに過ぎないことを証明しました。
イスラム教はこれとは反対に、防衛のための戦争、独裁者を罰するための戦争、または自由を維持するための手段としての戦争以外の剣の使用を認めていません。敵の侵攻が自分の生命を脅かす時にのみ、防衛は必要となります。シャリア(イスラーム法)で認められたこれらの3種類のジハード以外、イスラム教ではこの宗教を支持するための戦争を認めていません。
このジハードの意味を強調するために、私は数々の本をこの国およびアラビア、シリア、コーサラン等の国々に巨費を投じて配布しました。
(Masih Hindustan  Meia,  Ruhani Khazain Vol.15,p 4-5 1908)

イスラームは反乱のために武器を取ることを許していない

イスラーム教では、最初に武器を取った人々に敵対する時にのみ武器を取ることが許され、最初に殺人を犯した人々に対してのみ同等な行為が許されるということも覚えておくべきです。

またイスラム教では、正義と公平性を持った非イスラーム教徒によりイスラーム教徒が支配されている間は、反乱の徒として非イスラム教徒に対して武器をかざすべきであるとは示していません。聖クルアーンによると、これは邪悪な方法であり、正義の行いではありません。
(Anjam-e-Athem, Ruhani Khazain, Vol 11, p.37, 1897)

約束された救世主は戦争を終わらせるために現れた

マウルウィと呼ばれる現代のイスラーム教の神学者によって理解され、広められているジハードの原理は全く間違ったものです。この原理では彼らは強硬な説教により一般の人々を野獣と化し、人間としてのすべての善良な資質を奪うこと以外、何も導かないでしょう。そしてそのようなことを起こしてしまいました。

このような説教のため、無知から殺人を犯した者の背負う罪や、なぜイスラーム教がその初期に戦争を余儀なくされたかを知らない者達がいるのはこれらの危険な原理を秘密裏に広めているマウルウィのせいであり、そしてそれが人の命を奪うという悲しい結果になってしまったのだと私は確信しています。
(Government Angrezi Aur  Jihad Ruhani khazain Vol18 ,p7 1900)