ムスリムも聖マリアとイエス・キリストを愛しています。

イスラーム教徒もイエス・キリストを愛し、尊敬します。しかし私たちは聖コーランと預言者ムハンマドの言葉によって、彼と私たちの生活における彼の役割を理解するのです。聖コーランの3つの章の中で、イエスと彼の母親マリヤ様、そしてその家族の生活が描写されています。そしてそのいずれも、新約聖書の中には見出せない詳細を明らかにしています。

聖なる預言者ムハンマドは、何度もイエス・キリストに関して語っています。ある時は彼を、自分の兄弟と描写したこともありました。

「私はマリヤの子に最も近しい者である。そして全ての預言者は父系兄弟であり、彼と私の間にはいかなる預言者も挟んでいない。」(ブハーリーによる伝承)

イスラームがイエス・キリスト(彼にアッラーの平安あれ)について信者にどう説いているのかを皆さんに聖コーランを引用して少し教えたいと思います。

まず始めに、イエス(彼にアッラーの平安あれ)の母である聖マリアについて聖コーランに次のように述べられています。

“マリアよ、アッラーは汝を選び、汝を清め、しかしてすべての女性の上に汝を選びたり。

マリアよ主に従順であれ。神を敬いてひれ伏せよ。神を崇めまつる者と共に神のみを崇拝せよ“

第3章43-44節

この節のつづきには、イエス(彼にアッラーの平安あれ)について書かれています。そして、彼の名前も神が自らマリアに天使をつうじて啓示したと述べられております。その節は次の通りです。

“マリアよ、アッラーはじきじきのお言葉で汝に朗報を受けた給う。彼の名はメシア、マリアの子イエスなり。彼は、現世ならびに来世において高い栄誉を得、神のそば近く寄れるの一人たるべし。

彼はゆりかごの中においても、また壮年になってからも人々に語りかけ、必ずただしき人たらん“

また彼の紹介だけにとどまらず、彼の名前は聖コーランにて16回もでてきています。彼が自分の人生で何を成し遂げたのかも明白に述べています。第3章50節

イスラエルのこどもらへの使徒として、かくなる神託を持たせて派遣せん。我は主の奇跡をたずさえてお前達にきたれり。すなわち、土くれをもって鳥の形を造り、それに息を吹き込めば、アッラーのお許しにより空に舞い上がる鳥とならん。また我は盲人や、らい病人を癒し、アッラーのお許しにより死者を生きかえらさん。

ここで述べられている奇跡はすべて隠喩的に述べられています。土から鳥を作るとは、鳥の生態を利用して、イエス(彼にアッラーの平安あれ)が、ユダヤ教徒が真の教えから離れてしまったため、彼らに少しずつ正しい教えを、母鳥が雛に少しずつえさを与えるように教え、彼らが正しい道へもどるよう祈り彼等を支えた事をこの隠喩は意味しています。

それと同じように、盲人を癒したとは、皆が世俗主義になってしまい、宗教にたいして盲人と同じように、教えが見えなくしまったため、彼等を癒したという意味を持っています。

最後に、この教え聖コーランをアッラーから啓示された預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)が、キリスト教徒とどう接したのかを皆さんに伝えたいと思います。

イスラームにおいて「平和」の定義は、自分が好むものを相手のためにを好むです。自分が好むものを自分以外のためにも望めば、お互いの権利を尊重することができ、平和な社会が生れます。

預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)はこの平和を築くため、自分が持っている教えを広めるため日々努力しました。しかし彼の努力は、剣を振り回してではなく、心を勝ち取っていく努力をしました。したがって彼は、メディナ周辺の王族達に手紙を書いてはイスラームの教えについて伝えました。しだいには、周辺から、遠くまでの王族たちにも手紙を書きました。その中で、ナジュラーンに住むキリスト教徒へももちろんこの平和なメッセージは送られました。それを読んだキリスト教徒たちは、まず3人の遣いを送りメディナはどういう場所で預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)は何を布教しているのか調べに行かせました。その後、彼等は、一度帰り、再び60人ほどの団体でメディナを訪問しました。訪問した際、預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)と同僚たちは、お祈りをしており、お祈りを終えた後預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)は彼等と談話しはじめました。すこし時間が経つと、キリスト教徒たちは、お祈りがしたいと といかけ、預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)は躊躇なく、モスクでお祈りをしても大丈夫と伝えました。したがって彼等は東の方角へ向き、自分のやり方でモスクでお祈りをしました。この話を聞いてびっくりする方もいると思います。しかし、これが、イスラームの教えです。モスクは、唯一の神様を崇める場所であり、ムスリムだけが立ち入りのできる場所だけではなく、ムスリム以外も入ることができます。礼拝だけでなく交流することのできるすばらしい場所でもあります。

話をもどしますが、ナジュランの人々は、預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)と会談した後、帰ろうとした際、預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)は、彼等に権限書をわたしました。その内容を読み上げて私のスピーチとさせていただきます。

これはムハンマド、アブドゥラの息子からのメッセージである。キリスト教を信じる人にたいしての契約として、我々は近かろうと遠かろうと彼らと共にいます。キリスト教徒の市民は私の市民であるため、わたしの使用人、助手、信者は彼等を守ります。アッラーに誓って私は、彼等を不愉快にするものを取り除きます。彼等に強制は一切ありません。彼らの裁判官は自分の仕事からまた僧侶たちは自分の僧院から追い出されません。誰もかれらの宗教の拠点を損傷、あるいはそこからイスラーム教徒の家に何かを持ち出すことはゆるされません。

もしだれかがこのような行為をした場合彼は、神との約束を破り、彼の預言者に従わないだろう。本当に、彼らは私の同盟者であり、彼らが憎むものすべてに対して私の手堅い憲章を彼らは持っています。誰も彼等を追い出したり、または戦うことを彼等に義務ずけてはなりません。イスラーム教徒は彼らのために戦わなければなりません。もしイスラーム教徒との結婚相手が女性キリスト教の場合、彼女の承認を得ずに結婚はできません。彼女が祈るために、教会を訪問したいのであればそれを防止してはなりません。彼らの教会は尊重されるべきです。彼等は(教会)を修復または神聖な盟約を防止することもあってはなりません。イスラーム教徒の誰もがこの権限書に(世界の最後の日まで)さからってはなりません。