日本アハマディア・ムスリム協会の歴史・背景・性格について

イスラームという宗教

イスラームはキリスト教、仏教と並ぶ世界三大宗教のひとつである。イスラームの信者数は、信者数世界第1位のキリスト教21億7000万に次ぐ世界第2位で、13億4000万と言われる。中東地域、砂漠の宗教とのイメージがあるが、実はイスラームは東南アジアの宗教でもある。現在イスラーム教徒はインドネシアに最も多く、マレーシア、バングラデシュ、パキスタン、インドなど東南~南アジアでも広く信じられている。

日本人は「イスラーム=テロ」というイメージを特に9.11以降持つに至っているが、他の世界宗教と同じく、大多数のイスラーム教徒は穏健派である。宗教過激派は例外的な少数派であり、イスラーム教徒の穏健派からも実は過激派は支持されていない。また日本の新聞報道等は、本来は石油の利権などの経済的・政治的理由に基づく紛争を、その背景を十分に理解しないまま宗教紛争として報道するケースが多い。これが「イスラーム=テロ」という偏見を強化する役割を果たしているという現状がある(例:スーダンの独立問題、イラクの「シーア派とスンナ派の対立」など)。

 

日本アハマディア・ムスリム協会

イスラームはスンナ派、シーア派という二大宗派以外にも多くの分派を持つ。アハマディア・ムスリム協会は、現在のインド・パンジャーブ州のカーディヤーンで1889年に興ったスンナ派系のイスラームの分派で、イスラーム内のいわば「新宗教(新興宗教)」である。教団の特徴は極端な平和主義と、カリフ(宗教指導者)を頂点とした高度に体系化された組織を有することである。彼らのスローガンの一つは「誰も憎まず、全ての人に愛を」である。

本部は現在イギリスにある。祖地はインドとパキスタンだが、海外宣教に成功し、現在はパキスタンよりも欧米や西アフリカで多くの信者を獲得、200カ国以上に信者がいる。彼等はインドからのパキスタンの分離独立の際にインドからパキスタンに集団移住した。初代パキスタン外相はこの協会の信徒である。パキスタンでは、イスラーム国家樹立を目指すイスラーム政党、ジャマーアテ・イスラーミーに敵視され、次第に迫害対象となった。1952-53年には排除運動が活発化、53年には襲撃事件が起きた。74年に憲法改正によって非イスラーム集団とされ、制度上ムスリムの地位を喪失する。84年4月ズィヤーウル・ハック(1924-88)政権により軍事法令第20条が施行、アハマディアはアザーン(礼拝の呼びかけ)の朗誦、ムスリムとの自称、説教、布教の全てを禁止され、違反者は3年以下の実刑もしくは罰金刑と定められた。政府により迫害が合法化されたのである。85年に国連人権委員会にパキスタンのアハマディアの状況にかかる報告書が提出されている。84年以降パキスタンから移住する信者が急増した。2010年5月28日にはラホールでアハマディアを標的としたモスク襲撃事件が発生、約80名が死亡、100名以上が負傷した。98年のパキスタン国勢調査によれば、全人口の0.22%、約29万人がアハマディアである。

 

在日アハマディア信徒と日本

在日アハマディア信徒は現在、日本国籍者や日本人妻等も含めて、大人と子供併せて200名弱である。そのうち半数近くが名古屋を中心とした中部地区に、半数は首都圏に居住している。例外的に主任宣教師が所謂宣教師ビザ(出入国管理及び難民認定法上の在留資格「宗教」)を持つが、信徒の多くは就労ビザを持つ。少数だが難民ビザ所有者もおり、日本国籍取得済の一家も複数いる。迫害を契機に1984年かそれ以降にパキスタンを離れた人々が全体の70%程を占め、在日年数は長い人が多く(在日10~25年程度。30年を超える人も)、全員合法滞在者で不法滞在者はいない。81年に現在地(名古屋市名東区貴船)に本部を構えているが、近隣ともパキスタン料理教室を開くなどして、友好的につきあっている。また第2世代は日本で教育を受けており、日本語が非常に堪能である。第1世代も日本語習得には大変熱心でかつ「住まわせていただいている」意識が強く、ホスト国家である日本を尊重する姿勢において際立っている。

アハマディアは国家と争わず、法に従い、一貫して国家の優位性を疑わない。イスラームは政教一致を旨とするが、アハマディアは政教分離を是とする唯一のイスラーム系団体である。開祖は「宗教と政府というふたつの聖域を、公正な魂を持つこと、忠実な国民であることによって守れ」と説き、「国を愛せ」と命じ(この文脈では国は英植民地政府を指す)暴力を禁じた。「汝ら信徒たちよ、アッラーと使徒ならびにお前たちの中の権限を委ねられたる者に従え」[4: 59]というクルアーンの章句も、彼らは国家の優位性の根拠の一つとしてよく引用する。ここで「権限を委ねられたる者」と訳されるウリルアムリ(ulil amri)は、彼らの解釈では国家を指す。ある女性信徒は(81年生、05年来日)は「ここで安全に暮らしていられるのは国(日本、引用者注、以下同)のおかげ。だから私たちは国を尊重してそのルールを守らなければならない。小さなことでは、ごみ出しのルールを守ることもそこに含まれる」とこの規定を説明した。

彼等は国家を尊重し、平和を愛することを最重要視しており、その点に彼らの教義の特色がある。生活ルールを守る重要性も良く弁えており、隣人として共生するのに全く何の問題もない。なお彼等はアハマディア・ムスリム協会を母体とする非宗教的NGO、ヒューマニティ・ファーストとして東日本大震災時に、主に宮城県石巻市湊小学校避難所において継続的な炊き出し支援活動を日本人ボランティアと共に行った。石巻市民とは非常に良好で濃い人間関係を築いていることも最後に指摘しておきたい。

(活動の照会先:石巻市議会議員(元湊小学校避難所対策本部長) 庄司よしあき)

参考

嶺崎寛子2013「東日本大震災支援にみる異文化交流・慈善・共生―イスラーム系NGOヒューマニティ・ファーストと被災者たち」『宗教と社会貢献』3(1):27-51。

http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/24494/1/rsc03_01-027.pdf