ジハードとは?

イスラームにおけるその真の意味
イスラームにおけるジハードの概念はここ数年大きな論争の種となっています。アハマディア・ムスリム協会の創始者インド、カディアンのミルザ・グラム・アハマド師は数百年以上前に、「聖クルアーンおよびその預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安あれ)によると、信仰に関する事柄における武力行使は完全に禁止されている」と、はっきりと述べています。この文書の中で、私たちは彼の書き残した物の中からいくつかを抜粋して紹介していきます。

イスラームの理念はその本来の特質のもとに広められる
「真のイスラーム教徒は、イスラームが剣によって広められるべきであると信じたことはありません。イスラームは常にその本来の特色に基づいて広められています。しかしながら自らをイスラム教徒とよびながら、剣に頼ってイスラームを広めようとする者達は、イスラームの本来の意味を知らない者達で、そのような彼らの行いは野獣の行動と似ています。」(ティリヤクーウルークラーブ、ルハニ・カザイン15巻p167脚注、1902年)

「聖クルアーンは武力による信仰の布教を明確に禁じ、イスラームの本来の特色やイスラーム教徒達の良い先例を通しての信仰の普及を教え、その活動のために武力を行使することをはっきりと禁止しています。イスラーム教徒は始めから剣をかざすことを命令されていた、という間違った概念に誤って導かれてはいけません。剣は信仰を広めるために使用されていたのではなく、イスラーム教の敵に対する防衛、および平和、安全の樹立のために使用されたのです。また、剣が信仰を強制することを目的とすることも全くありませんでした。」(シタラー・カイシャリヤー、 ルハニ・カザイン15巻p120~p121、1899年)

約束された救世主は剣で無心信者と戦うことはない
「約束された救世主が天国から来られ、無心信者と戦い、人頭税を認めず、イスラームか死かの選択のみを与える、と幾人かの聖者が預言したという一般的にとらえられている教義は全くの間違いです。それはすべて全くの間違いであり、迷惑なもので、聖クルアーンの教えに反した詐欺師の仕業です。」(ナーウルーハク、ルハニ・カザイン8巻p67、1894年)

ジハードの意味
「私はすでにウルドゥ語、ペルシア語、アラビア語で本を書きましたが、その中で、イスラーム教徒の間に普及している一般的なジハードに関する概念、それはたとえば血なまぐさい導師が期待するような他人に対する悪意の伝播といったものは、狭い了見をもった聖職者の単なる間違った概念にしかすぎないと述べました。イスラームはこれとは反対に、防衛のための戦争、独裁者を罰するための戦争、または自由を維持するための手段としての戦争以外の剣の使用を認めていません。敵の侵攻が自分の生命を脅かす時にのみ、防衛は必要となります。シャリア(イスラーム法)で認められたこれら3種類のジハード以外、イスラームではこの宗教を支持するための戦争を認めていません。このジハードの意味を強調するために、私は数々の本をこの国およびアラビア、シリア、コーラサン等の国々に巨費を投じて配布しました。」(マシー ヒンドゥスタン メイン、ルハニ カザイン15巻、P4~5、1908年)

イスラームは反乱のために武器を取ることを許していない
イスラーム教では、最初に武器を取った人々に敵対する時にのみ武器を取ることが許され、最初に大量殺害?を行った人々に対してのみ大量殺害?が許されるということも覚えておくべきです。イスラームでは、正義と公平性を持った非イスラーム教徒により
イスラーム教徒が支配されている間は、反乱の徒として非イスラーム教徒に対して武器をかざすべきであるとは示していません。聖クルアーンによると、これは邪悪な方法であり、正義の行いではありません。(アアティジャムーエーアタム ルハニ カザイン 11巻p37、1897年)