今回2人の日本人が拘束されている、実態を見ると心が痛みます。彼らが無事に帰国できるよう私達は、今日も金曜礼拝でお祈りをしてきました。また日本で暮らしているイスラム教徒達は、自由に礼拝をしたり、モスクを建てたり、勉強会を開いたりすることに励んでいます。日本に住まれている10万人以上のイスラム教徒達、また日本国外に居られるイスラム教徒たちにも平和な社会造りに、今まで以上に努力をしていただきたいというのが、今の私達の気持ちです。 2013年にアハマディア・ムスリム協会の現最高指導者である、ハズラット・ミルザ・マスルール・アハマド師が来日した際、「日本人はとても穏やかな性格で人を思いやる気持ちを持つ民族である。」と関心を示しました。 最高指導者は今回、このような悲惨な実態が発生したことに関して、日本アハマディア・ムスリム協会本部にこの事件に対して非難声明を表明することを強く主張しました。 そこで当協会の信者達は友人の方々、また地域の人達にイスラムは本来、「愛」「敬意」「平和」を説いており、信者達はイスラムの教えの誤解を解くため、また社会に平和をもたらすことに励んでいる。そして、イスラム国(ISIS)の行為と目的はイスラムや他の宗教とはほど遠いものであることを露呈しています。 イスラムの基本的な教えには宗教に強制はいけないとあり、あいにくテロ活動をイスラムにつなげるのが残念な今の実態です。イスラム教は固くテロ活動を断ります。人間を大事にする教えを忘れた人だけがそういう残酷な態度をとっているのである。 聖コーランでは以下のように述べられています。 「一人を殺す者は全人類を殺したのと同じである。」(第5章、33節) これほど強くテロを批判し、平和を望むイスラムが人の命を奪うような行為は決して許されるものではありません。 イラクとシリアでジハードをしていると宣言して行動している組織ISISは、自分のことをイスラム国(Islamic State)と名乗ることは、全く間違っています。なぜなら預言者ムハンマドの教えは、彼らの行為とは全くかけ離れたものです。 最後にイスラム国がコーランの教えを理解し、人類に慈悲を示す姿勢を見せ、日本人の方2人を、無事解放していただけるようメッセージを伝えたいと思います。またイスラム教徒も金曜日という特別な日を利用して、拘束された日本人が解放されるよう、お祈りをしましょう。

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湯川さんのご両親、ご家族には心からお悔やみ申し上げます。彼がお亡くなりになったというニュースは今でもまだ嘘であってほしいと心から祈っています。 後藤さんの母親を報道で見ましたが、イスラムでは女性の立場は非常に優れた存在として守られています。 日本に住むムスリムとしてアッラー(神様)に、日本全国民が過激派の被害から守られるように願います。日本ムスリム教会の本部長、アニース・アハマド ナディームは次のように語っています。「イスラムの名においてイスラム国が流す映像は残念で苦痛を伴うものです。 平和で真の教えを信じるムスリムにとって、イスラムの教えとかけ離れた概念を持つイスラム国のような人達が行っている行為は決して許されるべき事ではない。」 何度も訴えますが彼らはイスラム教徒ではありません。皆様にも本当の平和を愛するイスラムを理解してもらいたいです。そして、私たちはこれからもイスラム国(ISIS)は、イスラム教徒では無い事を訴え続けます。

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始めに拘束された日本人のご家族に対して同情の意を示したいと思います。 私たち日本アハマディア・ムスリム教会が電話やメールなどで、今回の事件で数多くのメッセージを頂きました。応援と勇気づけるメッセージが多数あり感謝の気持ちでいっぱいです。長年日本人の方々と、お付き合いをしていて、一番印象に残る事は、穏やかな心と、心優しい人達だという事です。ネガティブな電話があったという報道や記事がありましたが、私たちは電話に対して全く怒りや不満を持っていません。イスラムの教えを理解していない方々がネガティブなイメージを持つことは、自然な事だと理解しています。 私達がこのような気持ちを持てるのも、日本人から受け取った愛情と優しい心づかいのおかげだと思います。 これからも日本人と共に平和な社会造りに励んでいきたいです。 ナディーム・アニース・アハマド 日本本部長 日本アハマディア・ムスリム協会

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日本アハマディアムスリム協会は、ISIS(イスラム国)による二人の日本人の殺害警告に深い悲しみを表明いたします。日本アハマディアムスリム協会代表のアニース・アハマド・ナディームはこの件に関して、以下の通り語っています。   “この日本人二人の人質事件は非常に邪悪な行為です。イスラムは本来、「愛」「敬意」「平和」を説いています。ISISによる今回の人質事件は、ISISがイスラムや他の宗教とはほど遠いものであることを露呈しています。”  アハマディアムスリム協会はカリフ、ハズラト・ミルザ・マスルール・アハマド師の指導の下、いかなる理由があろうと過激派の存在を否定します。   私たちは日本人の皆様とともに、イスラム国によるこの卑劣な行為を非難し、また、人質となっているとみられる湯川遥菜氏と後藤健二氏のご家族の思いと同じく、無事に解放されるよう祈っています。

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  Press Release For Immdeiate Release                                          January 20, 2015 The Ahmadiyya Muslim Community Japan condemns the hostage of 2 Japanese citizens&barbaric acts of ISIS Ahmadiyya Muslim Community Japan are shocked and saddened to know that the militant group ISIS has threatened to kill two Japanese citizens unless Tokyo hands over $200 million within 72 […]

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第21回東京国際ブックフェアを無事終える事ができました。約1万人の方々にイスラムの平和なメッセージを伝えることができ、大成功でした。今回のブックフェアで新しく出版された「聖預言者ムハンマドの生涯」人気を集めました。この他にも「聖クルアーンの研究の手引き」や「イスラム教徒の祭りと儀式」等の出版物も多いに販売されました。こちらの書籍をお買い上げになりたい方は連絡ください注文承ります。  

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今月2日から5日まで東京ビッグサイトにて東京国際ブックフェアが開催されます。日本アハマディアムスリム協会は今回も出展させていただくことになりました。 イスラム教関連の本、冊子などが多々あるのでご時間がおありの方は是非お越しください。

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イスラム教における平和と国際関係 平和、希望、調和、善意そして兄弟愛の宗教であるイスラム教が、近年様々なテロ行為や蛮行の加害者によって、そのイメージを酷く傷つけられてきたことは遺憾である。 この問題を解決するために下記の3つの事項に注目したいと思う。 1.イスラム教における外交特権と戦争の倫理 2.イスラム教におけるジハード 3.イスラム教における平和と国際関係 外交特権と戦争の倫理 イスラム教の聖典-コーランによると、神は肌の色、人種、国籍などに関係なく、全ての個人に栄誉を授けた。自由は神の素晴らしい恩恵の一つであり、それを欠くときわめて悲惨である。イスラム教の神の摂理の下では、誰も正当な理由無くして捕虜になることはない。戦争捕虜は唯一、通常の宣戦布告がなされた戦争や戦闘の場合のみにとらえられ、他の理由や口実の下にはとらえられない。聖コーランは以下の様に述べている。 「正規の戦いで打ち負かした敵に非ざれば、捕虜とするは預言者には相応(ふさわ)しからず。」 (8:68) この節は、過去の奴隷制度の慣習を根絶させるだけでなく、今日、実際の戦闘に関与していない無実の人々を人質にしたりハイジャック行為をすることを正当化する一部のイスラム教徒の理論を覆している。 別れの説教でイスラム教の聖なる預言者は、捕虜に与えるべき優れた扱いの指示を与えた。聖なる預言者は言った。 「おお、人々よ、あなたがたはまだ戦争の捕虜を扱っている。故に、私はあなたがたに助言する。あなた方が着る服、食べる食物と同様な  物を彼らにも与えるように…..。彼らに痛みや苦悩を与えることは決して許されない。」 戦争と捕虜の扱いの倫理に関する一層具体的な戒めが、コーランの第四十七章、第五節に含まれている。この多くの意味を含む詩は次のように言い換えることができる。 「通常の戦闘に従事したら、勇敢かつ執拗に戦うべきである。戦争は平和と良心の自由が確立されるまで続くこともあり得る。捕虜は慎重に取るべきである。自由な人たちは、義にかなった合理的な理由無しに自由を奪われることはない。戦争が終わったら、捕虜たちは恩恵の行為として、または身代金の支払いにより、または相互交換交渉によって解放されるべきである。」 イスラム教の歴史では、これら全ての方法が捕虜の解放に用いられてきた。解放を得る一つの新しい方法は、教育を受けた捕虜が身代金の代わりに、文盲の人たちに読み書きを教えることだった。 この詩はさらに、イスラム教の名を騙りイスラム教の旗の下に今日のテロを正当化しようとする者たちの根拠を根底から危うくする。 外交使節は、イスラム教の体制では特権階級に属する人々である。彼らは個人的特権を十分に享受している。彼らはその動機にいくら価値が有っても、政治的な身代金の対象にはならず、彼らを誘拐することは凶悪犯罪である。彼らは殺されたり、危害や虐待を受けてはならない。聖なる預言者の生涯には、これらの原則の適用を示す多くの実例がある。 従って、外交特権に関するイスラム教の聖典とイスラム教の聖なる預言者の教えには曖昧さがない。一言で言えば、どのような形であれ、外交使節や民間人を人質にしたり虐待することは、イスラム教の教えや教義とは全く無縁である。言い換えれば、イスラム教の哲学は完全にテロを拒否している。 イスラム教におけるジハードの概念 ごく一部の構成分子の行動を通じて、西側世界はジハード(聖戦)について間違ったイメージを持っている。ジハードという言葉は、剣を振り回し異教徒を攻撃する、残忍なあごひげを生やし炎のような目をした宗教の狂信者たちが行進する光景を想起させる。 イスラム教用語のジハードは、高貴な方法で努力し、努め、懸命に試みることを意味する。何世紀にも渡って、このジハードの意味は消失したか、少なくとも希薄になっている。イスラム世界における重大な転機に、ジハードの本当の初期の意味を復活させ取り戻す必要がある。 ジハードは大きく2つのカテゴリーに分けることができる。 第一は偉大なるジハードである。これは罪深い性向を抑制する自分自身の人格に対するジハード、すなわち自己の浄化である。これは最も困難なジハードであり、故に報酬と祝福の観点から見れば最高のカテゴリーのジハードである。 第二は、小ジハードである。これは剣のジハードである。これは共同参加のジハードであり、ある特定の条件を前提とする。コーランが語っているのは、イスラム教徒を先制攻撃した者に対する戦闘のみであり、これは聖コーランの他の詩にも規定されている。イスラム教の聖典のいわゆる剣の詩は、全ての不信心者たちに無差別の大虐殺を諄々と説き聞かせるかのように、何度も文脈から取り出される。あなたが見つけるものは何でも殺せ、のようなコーランの言葉は、敵が先にイスラム教徒を攻撃してきた場合にのみ適用され、その誓いや確約を破る不信心者たちや敵に対して用いられる。それらは、挑発に寄らない戦争や戦いには用いられない。それ以外の方法でこれらの詩を解釈すれば、イスラム教の崇高な理想を戯画化することになるだろう。聖なる預言者の生涯において、剣あるいはイスラム教の他に採り得る道を誰かに提供した例は一つも無い。 欧米のメディア及び一部の学者は時として、ジハードのこれらの2つの側面の相違を無視している。聖なるコーランは、信仰の問題に関してはジハード、聖戦を行わないことを忘れてはならない。聖なる預言者の言葉や伝統はそれを、常に不正確に戦闘的表現に陥りがちな激しい闘争の形で表現する。現代のテロは、イスラム教におけるジハードの真の精神の領域とは相いれない。 イスラム教を西側世界が、神の権威を装って不当な人的、物的な苦しみや破壊を引き起こす権利を自らに与える未熟で原始的な宗教とみなしても、それは我々が聖なるコーランと聖なる預言者ムハンマドの教えに見出すイスラム教ではない(平安とアッラーのご加護を!)。 イスラム教における平和と国際関係 神の属性の中で、聖なるコーランは、アッラーは平和の根源であり安全を与える者である(59:23)と言及している。従って、平和の確立と安全の維持は、全てのイスラム教徒にも非イスラム教徒にも等しく不変の目的でなければならない。平和を乱す全ての営みと活動はイスラム教では厳しく非難されている。聖なるコーランには特定の禁止命令が見出せる。 「そして、地上が整えられた後、無秩序を起こしてはならない….」 (7:57;11:86; 29:37) 危害や邪悪は他のいくつかの詩でも非難されており、イスラム教徒はひとえに平和のために力を尽くすように命じられている。 イスラム教は、平和と秩序を乱したり破壊しがちな要因に注意を喚起し、それらを非難する。一国内のある集団による別の集団の支配、または国家間のある民族による別の民族の支配は、平和を妨げる重要な原因として強く非難される。別の民族は国による一民族または一国の経済的搾取は、必然的に支配につながり、平和に対する潜在的脅威に発展する。聖コーランはそのような搾取を禁止している。搾取に基づく経済は結果的に有益では有り得ず、長く持ちこたえることもできない。 イスラム教は、平和、良心の自由、そして人間の福祉の増進の追求に緊密に結びついた、強固かつ安定した国家とそのような国家間のつながりを具体化する。国家間の条約や条項は簡単な言語で行われ、何らかの優位性を確保したい誘惑によって回避または拒否されることなく作成される必要がある。困難や紛争に、平和的な解決や調整をもたらすのはイスラム教徒の義務である。 聖コーランは、神が全ての人々に啓示を時々、送っていると教えている。旧約聖書の預言者たちやイエスは、全てのイスラム教徒から大いに尊敬され崇拝されている。確かに、コーランはこれら全ての預言者たちを信仰するよう求めている。イスラム教はこのように、全ての預言者への信仰を求める点、唯一かつ独特のものであり、故にイスラム教は、様々な宗教の信者の間に和解をもたらして彼らの間に尊敬と名誉の礎を確立しようと試みる。コーランは次のように言う。 「げに信ずる人々、ユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにサービア人たち、(注61)そのいずれたるを問わず、アッラーを信じ、最後の審判の目を信じ、善行を積む人々は、主より必ず報奨を賜わらん。而して彼等には、恐ろしきこと悲しきこと起らざるべし。」(2:63) 。同じ託宣が5:70で繰り返されている。全ての宗教の信者の基本的結束が聖なるコーランで力強く強調され、テロによる不和や分裂が生じることがあろうと無かろうと、イスラム教に入り込む余地は全くない。 国際関係の分野では、宗教及び宗教間の関係が重要な位置を占めている。残念なことに、人間関係のこの側面にはあまり注意が払われない。宗教は各個人にとって私的な問題であり、従って生活の政治的、社会的側面とは直接の関係がないと思われている。この仮定は正当化されない。イスラム教は平等主義的な宗教であり、単なる個人的な信仰ではなく、価値観や行動の包括的な掟である。イスラム教は人間関係における重要な要因であり、今後もそうあり続けるだろう。イスラム教は、目標を達成するために宗教的、政治的指導者に必要とされ続けるのみならず、団結と調和を促進するためにも重要である。 平和時であろうと戦争時であろうと、テロ行為はイスラム教では非難される。それだけでなく、テロは明らかに全人類の主である神への服従を通して、平和を象徴するイスラム教の教えに相いれないことも述べて、私は結論を下す。 神の律法への服従によってのみ、私たちはテロの無い安全な世界という理想を達成することができるのである。 日本アハマディア・ムスリム協会 日本本部長 主任宣教師 アニース・アハマド・ナディーム

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国を尊び、愛することは良い民族の義務であり、信仰の一部である。   日本アハマディア・ムスリム協会は小さな協会ですが、イスラム教の真の教えを広める唱道者であり代表者です。それでも、日本在住のアハマディはどの方も国家に非常に忠実な国民であり、愛国心が強いと言わざるを得ません。これは、愛国心が信仰には欠かせない一部であると訓令した我々の預言者(SA)の教えによるものです。 イスラムの教えは、約束されたメシア・現世の改革者と我々が信じるアハマディア・ムスリム協会の創始者によってさらに練り上げられ力説されてきました。 全知全能の神は、彼がメシアであると公表した際、彼に二つの責務を課したと彼は言いました。一つは神への責務、そしてもう一つは神の創造物への責務です。そして彼は続けて、神の創造物への責務を果たすことはもっとも困難で繊細な挑戦であると言いました。

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イスラム法において合法なものの事をハラールといい、非合法なもののことをハラームといいます。そして、最近ではそれ以外のハラールでない物の事を非ハラール(non halal)と称する事もあります。      良いものを提供する’ そのこころは。 ハラールはひと言でも、意味として2つあります。1つはイスラム法で合法であること、そしてもう1つは健康的、清潔、安全、高品質、高栄養価であることです。 イスラムでは我々の日常において常に清潔を保つ事、自分が摂取するのにふさわしい良いものしか他人にも与えません。これがハラール タイバーンのコンセプトの源となります。 それによって管理、監視されたものがハラール製品となりますので、ハラール製品はムスリムにとってのみ良いものなのではなく、誰にとっても健康的で良いものであると言えるでしょう。 23:52. あなたがた使徒たちよ、善い清いものを食べ、善い行いをしなさい。われはあなたがたのすることを熟知している。 ハラールの表記 ハラールとはアラビア語でحلال、と書きます。ローマ字で書くとHalalです。  ムスリムにとって、ハラールの食品のみを口にすることは神(アッラー)の教えに忠実に従うこと、すなわち信仰そのものです。聖典コーランにはこのように書かれています。 ◎ハラールか、ハラームかは明確である。 5:4.あなたがたに禁じられたものは、死肉、(流れる)血、豚肉、アッラー以外の名を唱え(殺され)たもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で突き殺されたもの、野獣が食い残したもの、(ただしこの種のものでも)あなたがたがその止めを刺したものは別である。また石壇に犠牲とされたもの、籤で分配されたものである。これらは忌まわしいものである。今日、不信心な者たちはあなたがたの教え(を打破すること)を断念した。だからかれらを畏れないでわれを畏れなさい。今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとして、イスラームを選んだのである。しかし罪を犯す意図なく、飢えに迫られた者には、本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。 5:5.かれらは何が許されるかに就いて、あなたに問う。言ってやるがいい。「(凡て)善いものはあなたがたに許される。あなたがたがアッラーの教えられた仕方によって訓練した鳥獣があなたがたのために捕えたものを食べなさい。だが獲物に対して、アッラーの御名を唱えなさい。アッラーを畏れなさい。本当にアッラーは清算を極めて速くなされる。」 23:52.あなたがた使徒たちよ、善い清いものを食べ、善い行いをしなさい。われはあなたがたのすることを熟知している。 神が良いとしているもののみを食する、それ以外の行為をすることはすなわち背信行為にもなりかねない。従って、神に身を委ねるイスラム教徒にとって、ハラールではない物を口にすることは罪をおかす事になります。それはイスラムの信仰の根源でもある神への信仰心から、罪に対する懲罰を恐れてそのような行為は日常的にすることはありません。 イスラム教徒のハラール食へのこだわりは、ただ単なる人の好き嫌いではありません。豚肉入りの物を豚をよけたからといってハラールになる訳でもないですし、スープやブイヨンにそれらが使用されていたら、いくら見た目は分からなくても、食することはできません。トンカツをあげた同じ油であげられた野菜や魚も食することはできません。フランス料理で使われるワインや日本食・中華で使われる料理酒はたとえ使用する食材がハラールであっても、アルコールを入れることでハラールではなくなります。  食物が人の道徳や行動に影響を及ぼす。  食物は必ず人間の道徳や行動に影響を与えます。聖クルアーンにも供述されています。 汝等信徒達よ清潔なものを食し、善行をなせ。(アルモーメヌーン:52) たとえば、肉を全く食さない人は勇敢さに欠ける。反対に肉しか食さず野菜類を摂取しない人は柔軟、謙虚さに衰えがあります。このことは草食動物が肉食動物程勇気をもたないという、自然的法則によって証明されています。ですから道徳、行動が食物の影響を受けることは疑いがありません。ゆえに肉、野菜をバランスよく摂取することが両方の徳性(勇気、柔軟)を発達させる、最良の方法です。 クルーアーンではこう述べられています。 飲みかつ食べよ、しかし適度であれ。(アラーフ:32) すなわち、肉やその他の食物を食べよ、しかし度をこしてはならない、なんじの道徳的状態を悪くしないために、また汝の健康を損なわないために。

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